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朝が来るまで [お気に入り]

 なかなか晴れてくれませんね。梅雨時だから当たり前ですが。こうも蒸し暑く、ジメジメすると、目がさえてしょうがありません。

 そんなときは早々と寝るのをあきらめます。ざっとシャワーを浴び、車のキーと氷入りの冷たいお茶を片手に外へ。未明の首都高を一周するのです。

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 午前三時半。夜が短く、すでに明るくなり始めています。昼間はあれほど無機質で、もっと自然に囲まれていたいと感じているのに、青い世界の中で心地良い風にあたり、洗い髪を乾かしていると、ビルや街灯がいっしょに走っている仲間みたく感じられるから不思議です。

  BGMは、葛生千夏さんの「Nature Rewards Me」。葛生さんは少年のような、強く張りのある声と、作詞作曲やコンポーザーの才能を合わせ持った稀有なアーティスト。曲には中世ヨーロッパの騎士物語を彷彿とさせる、独自の世界観を感じます。

 20年くらい前にリョービのCMで使われ、よくプロ野球ニュースの途中に放映されていました。数年後に欲しくなり、リョービに問い合わせたのですが、残念ながら分からず。少年の歌だと思い込んでいたので、クラシックのコーナーでそのようなCDを手当たりしだいに漁ってみたけれども、これもダメ。あきらめかけていたところ、3年ぐらい前にネットで曲名が判明し、即買しました。この曲にほれ込んだ方が他にもいたんですね。ネットに感謝。

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  風がうるさくない程度の、ゆるやかなスピードで首都高を一周し、路肩に停車。缶コーヒー片手にたばこをくゆらせていると、最後を迎えた夜が瞬間的に青さを増します。なんとも言えない幸せを感じる瞬間です。

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 一服している間にかなり明るくなり、鳥のさえずりが聞こえてきました。「さ~て、寝るベ」。完全に明るくなると、また寝つけなくなるので、あわただしく自宅へ。
                                                   
 帰りはロック。グレイトフル・デッドの「ティル・ザ・モーニング・カム」です。転調を多用したカントリーのような雰囲気のある曲で、ヒッピームーブメントの時代から根強い人気を保っていたバンドらしく、大人の深みというか、味わいがあります。激しすぎない分、自然に布団にもぐり込めます。
                                                          
 夜明けがあるから夜が好きだし、朝もまた好きなのです。  

「日曜日」と三島由紀夫の死 [お気に入り]

 久々の更新になった。

 前回、今年がキャンディーズ解散から30年であることを書いているうちに、平成20年という区切りの年でもあることを、今さらながら思い出した。平成は私にとって、それほど存在感のない元号なのだ。

 西暦オンリーなので、平成何年かを計算するのもひと苦労。もっとも、社会的に元号を使う機会が減っているので、意識しないのは若い人も同じかもしれない。

 昭和となると話は全く別だ。当時は「今年は何年」という場合、まず昭和で表現していた。私が昭和期を過ごした17年間で西暦を意識したのは、歴史の本を読むときぐらい。元号が変わってしばらくは、今年が何年かすぐに言えず、時間の感覚が狂ったようになっていた。さすがに「今年は昭和84年」とは言わないにしても、その不思議な感覚は今も残っている。

 昭和天皇の崩御といえば、テレビが退屈な儀式で一色となり、レンタルビデオ屋が大繁盛したことぐらいしか記憶にない。だが、元号が今以上に用いられていた、しかも多感な時期を過ごした昭和の影響は、自分が思っている以上に大きいのだろう。

 脈絡がないかもしれないけれども、そう考えてみると、三島由紀夫が昭和の年数と自分の年齢が同じであることを強く意識していた理由が、何となく分かる気がする。

 三島という人は、原稿に書かれた文字の美しさからも、待ち合わせで必ず時間前に来たといったエピソードからも、かなり几帳面だったことが伺える。多忙にもかかわらず、必ず締め切りに間に合わせていた。

  元号を強く意識し、計画主義的だった人物が、昭和45年という区切りの年に衝撃的な自決を遂げたのは、偶然ではない気がする。

  話はちょっと変わるが、知人の話では、死を意識し始めたのは昭和42年ごろといわれている。クー・デター決行を考え始めたという意味ではそうだろう。しかし、私には彼がずっと前から死をスケジュール化していたように思う。

  三島には、まだ20代のころに執筆した「日曜日」という短編がある(あらすじを知りたくない人は、先に短編集「ラディゲの死」を入手して下さい)。

ラディゲの死 (新潮文庫 (み-3-29))

ラディゲの死 (新潮文庫 (み-3-29))

  • 作者: 三島 由紀夫
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1980/12
  • メディア: 文庫

 

  大蔵省に務める若い男女は、毎週のように貴重な週末を利用してデートを楽しんでいた。男性の手帳は、待ちきれない気持ちを示すかのように、日曜日の部分が行き先に応じ色鉛筆できれいに塗られていた。映画なら黒、野球観戦ならグラウンドの土色を示す茶、といった具合に。ところが、そんな2人はある週末に行楽地から帰る途中、ごったがえす電車のホームから群集に押し出され、轢死してしまう…。

  この短編は、短編集「真夏の死」に収録された「葡萄パン」と並び、三島作品の中では極めて秀逸な作品だと思う。

  …腕を組んでいたので、一人で死ぬことは困難であった。幸男が顛落し、斜めに秀子が引きずられて落ちた。ここでもまた何らかの恩寵が作用して、列車の車輪は、うまく並べられた二人の頸を正確に轢いた。そこで惨事におどろいて車輪が後退をはじめると、恋人同士の首は砂利の上にきれいに並んでいた。みんなはこの手品に感服し、運転手のふしぎな腕前を讃美したい気持になった…

  短編の根幹をなしているのは、若い男女の、当時としても珍しいほど純粋で健全な交際ぶりと、そのさ中でのあまりにも残酷な死。両者のコントラストがはっきりしているほど、死の輝きは増す。作者はこのことをよく知っていた。線路脇に並んだ2人の首を見た群集が哀しまなかったのは、そのためとも解釈できる。小説でこれほど「残酷」を有効活用した例は知らない。

 これとは別に興味深いのは、男女の首がきれいに並んだ光景が、奇しくも自決した三島の首と、後を追った森田必勝の首とが机の上に並べられた姿と全く同じであることだ(このいわゆる「生首写真」はネット上で出回っている。グロいので見ることはおすすめしない)。

 「日曜日」と三島の死に直接の関連があるという証拠はない。にしても、彼の心中には古くから自身の死に際に対するイメージが相当程度、出来上がっていたのではないか。もしそうだとすれば、昭和45年という区切りの年を選んだ?ことと合わせ、歴史上で最も時間をかけ、計画を練りに練った自殺といえる。

 三島は彼が嫌っていた太宰とよく比較される。「あからさまな告白」を書いた太宰に対し、彼は「仮面の告白」を自負し、必要以上に論理的で、絢爛で、ややもすれば「上から目線」の文章を書いた。着飾った文章は、ひと世代前の太宰よりもはるかに読みにくい。小説に会話は少なく、登場人物は彼の意思を表現するためのあやつり人形に見える。

 だからといって、絵空事という気はない。何より「日曜日」がそれを示している。表面上は彼自慢の小説技術を駆使し、着飾っていても、正直な思いが太宰作品以上に吐露されているように思う。

 何だかとりとめのない文章になってしまった。三島の人生や死については過去に相当調べたので、改めて書く機会があるだろう。とりあえずここでは、「豊饒の海」4部作や「金閣寺」の影に隠れがちな「日曜日」が、歴史に残る名作であることを強調しておきたい。


うまっ! [お気に入り]

 自分でもあきれるほど食べ物には冷淡で…味オンチと言われたことは数知れず。それでも「じゅうじゅう焼」だけは、2、3カ月に1度は食べないと気がすまないほど病みつき状態になっています。

 「じゅうじゅう焼」は、熱した鉄板上で刻んだキャベツと豚肉(もしくは牛肉)を炒める、シンプルな定食。生卵をのせ、お酢とタバスコをかけ、かき混ぜて食べます。ミシュランガイドに掲載されることはないでしょうが…秘伝のタレ?が効いていて、味は最高! 

 この定食を出しているのは、東京・戸越銀座の「千徳」さん。昨年5月には恵比寿店もオープンしました。戸越店にはかれこれ10年ぐらい通っています。

 恵比寿店には先日、初めて行きました。店は明治通りと駒沢通りの交差点にあります。

 これが店内。予想以上に洒落たつくりです。庶民的な戸越店を知る人間にとっては、ちょっとした驚きでした。場所柄に合わせたのでしょう。

 「定番」の豚じゅうじゅう焼定食です。見ているだけでヨダレが出そうっス。830円ですが、卵をつけると100円プラスだったか…値段を忘れてしまいました。

 参考までに、戸越店との違いを書いておくと、

 ◆戸越店の良い点
 ・値段が安い(スープがラーメンになっても820円)。庶民的な雰囲気、車が店の前にとめられる(路駐ですが)。
 ◆恵比寿店の良い点
 ・店内が清潔でテーブル席があり、カップル向き。おかわり用の水を入れたポットが置いてある。持ち帰りメニューがある。

 恵比寿店で残念だったのは、お酢が置かれていないこと(店員さんに聞いたら出してくれましたが)。じゅうじゅう焼にタバスコとお酢は必須です!

 でも恵比寿店には何と、「鳥つくねじゅうじゅう焼」と「カジキまぐろじゅうじゅう焼」が!トッピングも「チーズ」「大葉トマト」など豊富です。他のメニューもぜひ1度試してみたいのですが…何せ豚じゅうじゅう焼があまりにもうまいので…なかなか他のメニューを試せそうにないのが悩ましいです。

 追記・先日、昼食を食べようとして恵比寿店に行ったら、何ともう閉店!やっぱり庶民的ななところが土地柄に合ってなかったのでしょうか。清潔でも殺風景な店構えもよくなかったのかもしれません。戸越店は健在ですので、ぜひだまされたと思って一度足を運んでみてください!


名曲喫茶とビョーク [お気に入り]

  前回、「中学生時代は夜が楽しくてしようがなかった」と書きましたが、夜、というか「暗闇」は、いまだに好きです。仕事のある平日も、帰宅するといったん寝た後、深夜にムクムクと起き出し、暗い部屋でパソコンを見たり、ボーっとしたり。とても落ち着く時間帯なのです。当ブログも大抵、深夜に電気を消して書いちょります(薄気味悪くてスミマセン…)。体質なのか、あるいはネクラなのか…。

 そんな私が暗闇の魅力を感じられる店に、東京・中野の名曲喫茶「クラシック」がありました。ファンの多かった店なので、東京の方はけっこうご存知かと思います。1週間も居続ければ確実に視力が落ちるであろう?薄暗い店内、壁一面にいくつも掛けられた、止まったままの古時計、大地震の後みたく傾いた床やテーブル…。1930年(昭和5年)から70年以上にわたり、店のありようを変えずに営業してきたというのですから、大したもの。

 上京して初めて住んだのが中野だったこともあり、この店にはよく通いました。コーヒーが特別おいしいわけではなく、暗くて本は読めず、曲をリクエストするわけでもないのですが、「眠らない街」東京で最も暗闇を感じられ、自宅以上にリラックスできる空間でした。

 「でした」と過去形なのは、「クラシック」は残念ながら3年前に閉店したのです。中野では昨年、丸井本店が閉店しました。思い出の場所がなくなっていくのは寂しいものです。幸い、「クラシック」はオーナーの友人の方が引き継ぎ、隣の高円寺で「ルネッサンス」と名を変えて昨年秋に再オープンしたそうなので、ぜひ今度行って見たいと思います。

 そして、できれば店で私の一番好きな曲をかけてもらえたら、というのがささやかな願いです。その曲とは、ビョークの「ハイパーバラッド」。この曲にはテクノっぽいものなど、複数のバージョンがありますが、アルバム「テレグラム」に収録されたストリングスのバージョンが最も好きです。

(ビォーク「テレグラム」)

 いかにもビョークらしい、ジャンル分けや説明のしにくい曲ですが、私にとっては鳥の啼き声だけが聞こえる夜の森に、1人ぽつんとたたずんでいる感じ。この曲ほど哀しく、切なく、寂しい曲は、ちょっと他に知りません。歌詞とは全く関係ない、勝手なイメージですが。弦楽器の体の芯まで響く音色も、ビョークの情感にあふれた切ない歌声も素晴らしいの一言。もし他のアーティストで似たような雰囲気の曲があれば、ぜひ教えていただければ幸いです。

 「クラシック」は、アナログ盤しかリクエストできなかったので、おそらく「ルネッサンス」でもリクエストするのは難しいと思います。だいいちクラシックではないですし。けれども、暗闇の魅力を感じさせてくれた「クラシック」と「ハイパーバラッド」は、少なくとも私の心の中ではまばゆい光を放ち続けるだろう…なんて、ちと感傷的になっていたりします。

テレグラム

テレグラム

  • アーティスト: ビョーク
  • 出版社/メーカー: ポリドール
  • 発売日: 1997/02/05
  • メディア: CD

オトナに憧れて [お気に入り]

 当ブログは日記風の記述を避け、コラムのような読み物を多くしたい、と前に書きましたが、マメな更新を確保するため、合間合間に私が好きな、あるいは影響を受けた音楽や人、小説、番組などを「お気に入り」として取り上げていきたいと思っております(好きなものをみなさんに知ってもらいたいのが本音ですが)。このコーナーを見て、「それ私も好き」とか、「じゃ、聴いてみようか」とか、いろいろ思っていただければ幸いです。

 ということで、第1回は音楽。音楽といっても、私は落ち着かない性格を反映し(?)、歌謡曲やロックからクラシック、演歌、ヘビメタ、ジャズ、フレンチポップス、ワールドミュージック…と、あらゆる音楽を聴いてきました。(つまり、ほとんどのジャンルということです)。ただ言えるのは、1970年代前半生まれの私は音楽を聴く上ですごく恵まれていたのではないか、ということ。

 物心ついたころには、沢田研二「勝手にしやがれ」などの阿久悠ソングに囲まれ、80年代は洋楽に接しつつ青春時代を過ごしました。大学進学後はメタリカ、エンヤといった個性的な音楽にはまりました。新しい音楽が生まれにくく、ヒット曲が世の中全体を覆うことのない今を生きる若者より、はるかに感動の経験値は高いかも。

 特に中学時代、初めてCDデッキを購入したときの感動は、忘れられません。私はレコードをリアルタイムで経験したギリギリの世代。レコードプレーヤーに針を落とす瞬間も大好きですが、CDの音質の良さにも感動しました。当時すでに数枚のLPを所有していたものの、すぐにCDデッキを買いました。

 音楽にハマッた背景には、コンポの普及もあります。親に無理を言ってソニーのコンポを買ってもらい、同じくソニーのCDデッキを買い足しました。カセットのダブルデッキ、チューナー、アンプ、レコードプレーヤー、スピーカーの構成で、13万円くらいだったでしょうか。コンポとしてはローエンドの製品でしたが、かなり高かった記憶があります(お父さんお母さん、ありがとう)。夜の暗い部屋でコンポの緑色のイルミネーションが浮かび上がると、うれしくて1人ニヤけていました。ソアラを買ったのは、この経験があったためでもあります(インパネのライトの色が似ているのです)。

 友人が所有していたケンウッドのコンポも、黒を基調にした男らしいデザインがカッコよく、憧れでした(結局、買わないまま大型コンポ時代が終わってしまいましたが)。今は3年前に3万5000円で買ったケンウッドのコンパクトDVDコンポを所有してますが、ほとんど使っておらず、聴くのはもっぱらカーコンポにつないだiPod。隔世の感があります。

 田舎で、TSUTAYAのような気の利いた店もまだなく、CDはもっぱら友人に借りるか、家から3キロほど離れたレコード店にチャリンコで借りに行っていました。テープにも凝り、時には無理してメタルテープも買いました(若い方は知らないですよね)。

 話が逸れましたが、今回紹介するのはフィル・コリンズの「ワン・モア・ナイト」。この曲が入ったアルバム「ノー・ジャケット・リクワイアド」は、私が初めて自分で買いに行ったレコードなのです。

 (フィル・コリンズ「ノー・ジャケット・リクワイアド」)

 中学に入ったばかりのころ、小林克也さんの「ベストヒットUSA」が深夜に始まりました。番組で紹介されたビデオクリップを見て、「こんな世界があったのか!」と感動。それまで9時に寝ていたのに、あっという間に深夜族になりました。宮崎には民放が2局しかなく、「MTV」とともに貴重な洋楽番組でした。

 それまでにもワムやマドンナは知っていましたが、番組を見て洋楽にどっぷり浸るようになりました。当時は「週刊少年ジャンプ」を買うことより、ビルボードのチャートが載っている2週に1度の「FMファン」を買うのが、重要な「儀式」でした。

 「ワン・モア・ナイト」を好きになったのは、曲の良さもさることながら、「マセガキ」が深夜族になってオトナの仲間入りした気になったこと、ビデオクリップがオトナっぽくてカッコよかったことと、無縁ではありません。ビデオクリップは、同じアルバムに収録された「ススーディオ」と対になっています。「ススーディオ」では、場末のライブハウスがフィル・コリンズの歌でだんだん盛り上がり、最後は客が全員ノリノリになる様子を描いています。「ワン・モア・ナイト」は、客が帰りガランとした店で、フィル・コリンズが1人演奏し、店を後にする、という内容。人がいなくなった暗い店の淡い灯り、コートの襟を立てながら店を出る彼の渋い演技は、私をそれまで全く知らなかった世界へと引き込みました。

 オトナになることに憧れた時代。夜が楽しくてしようがなかった時代-。私にとって「ワン・モア・ナイト」は、青春を象徴する曲なのです。

 幸い、フィル・コリンズは80年代を代表する歌手になったので、ビデオが発売され、すぐ手に入れました。今も時々見ます。ただ、DVDはアマゾンでは検索できず、販売されているのか分かりません。ぜひ見ていただきたいのですが。

フィル・コリンズ 3(ノー・ジャケット・リクワイアド)

フィル・コリンズ 3(ノー・ジャケット・リクワイアド)

  • アーティスト: フィル・コリンズ
  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2005/12/21
  • メディア: CD

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