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「日曜日」と三島由紀夫の死 [お気に入り]

 久々の更新になった。

 前回、今年がキャンディーズ解散から30年であることを書いているうちに、平成20年という区切りの年でもあることを、今さらながら思い出した。平成は私にとって、それほど存在感のない元号なのだ。

 西暦オンリーなので、平成何年かを計算するのもひと苦労。もっとも、社会的に元号を使う機会が減っているので、意識しないのは若い人も同じかもしれない。

 昭和となると話は全く別だ。当時は「今年は何年」という場合、まず昭和で表現していた。私が昭和期を過ごした17年間で西暦を意識したのは、歴史の本を読むときぐらい。元号が変わってしばらくは、今年が何年かすぐに言えず、時間の感覚が狂ったようになっていた。さすがに「今年は昭和84年」とは言わないにしても、その不思議な感覚は今も残っている。

 昭和天皇の崩御といえば、テレビが退屈な儀式で一色となり、レンタルビデオ屋が大繁盛したことぐらいしか記憶にない。だが、元号が今以上に用いられていた、しかも多感な時期を過ごした昭和の影響は、自分が思っている以上に大きいのだろう。

 脈絡がないかもしれないけれども、そう考えてみると、三島由紀夫が昭和の年数と自分の年齢が同じであることを強く意識していた理由が、何となく分かる気がする。

 三島という人は、原稿に書かれた文字の美しさからも、待ち合わせで必ず時間前に来たといったエピソードからも、かなり几帳面だったことが伺える。多忙にもかかわらず、必ず締め切りに間に合わせていた。

  元号を強く意識し、計画主義的だった人物が、昭和45年という区切りの年に衝撃的な自決を遂げたのは、偶然ではない気がする。

  話はちょっと変わるが、知人の話では、死を意識し始めたのは昭和42年ごろといわれている。クー・デター決行を考え始めたという意味ではそうだろう。しかし、私には彼がずっと前から死をスケジュール化していたように思う。

  三島には、まだ20代のころに執筆した「日曜日」という短編がある(あらすじを知りたくない人は、先に短編集「ラディゲの死」を入手して下さい)。

ラディゲの死 (新潮文庫 (み-3-29))

ラディゲの死 (新潮文庫 (み-3-29))

  • 作者: 三島 由紀夫
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1980/12
  • メディア: 文庫

 

  大蔵省に務める若い男女は、毎週のように貴重な週末を利用してデートを楽しんでいた。男性の手帳は、待ちきれない気持ちを示すかのように、日曜日の部分が行き先に応じ色鉛筆できれいに塗られていた。映画なら黒、野球観戦ならグラウンドの土色を示す茶、といった具合に。ところが、そんな2人はある週末に行楽地から帰る途中、ごったがえす電車のホームから群集に押し出され、轢死してしまう…。

  この短編は、短編集「真夏の死」に収録された「葡萄パン」と並び、三島作品の中では極めて秀逸な作品だと思う。

  …腕を組んでいたので、一人で死ぬことは困難であった。幸男が顛落し、斜めに秀子が引きずられて落ちた。ここでもまた何らかの恩寵が作用して、列車の車輪は、うまく並べられた二人の頸を正確に轢いた。そこで惨事におどろいて車輪が後退をはじめると、恋人同士の首は砂利の上にきれいに並んでいた。みんなはこの手品に感服し、運転手のふしぎな腕前を讃美したい気持になった…

  短編の根幹をなしているのは、若い男女の、当時としても珍しいほど純粋で健全な交際ぶりと、そのさ中でのあまりにも残酷な死。両者のコントラストがはっきりしているほど、死の輝きは増す。作者はこのことをよく知っていた。線路脇に並んだ2人の首を見た群集が哀しまなかったのは、そのためとも解釈できる。小説でこれほど「残酷」を有効活用した例は知らない。

 これとは別に興味深いのは、男女の首がきれいに並んだ光景が、奇しくも自決した三島の首と、後を追った森田必勝の首とが机の上に並べられた姿と全く同じであることだ(このいわゆる「生首写真」はネット上で出回っている。グロいので見ることはおすすめしない)。

 「日曜日」と三島の死に直接の関連があるという証拠はない。にしても、彼の心中には古くから自身の死に際に対するイメージが相当程度、出来上がっていたのではないか。もしそうだとすれば、昭和45年という区切りの年を選んだ?ことと合わせ、歴史上で最も時間をかけ、計画を練りに練った自殺といえる。

 三島は彼が嫌っていた太宰とよく比較される。「あからさまな告白」を書いた太宰に対し、彼は「仮面の告白」を自負し、必要以上に論理的で、絢爛で、ややもすれば「上から目線」の文章を書いた。着飾った文章は、ひと世代前の太宰よりもはるかに読みにくい。小説に会話は少なく、登場人物は彼の意思を表現するためのあやつり人形に見える。

 だからといって、絵空事という気はない。何より「日曜日」がそれを示している。表面上は彼自慢の小説技術を駆使し、着飾っていても、正直な思いが太宰作品以上に吐露されているように思う。

 何だかとりとめのない文章になってしまった。三島の人生や死については過去に相当調べたので、改めて書く機会があるだろう。とりあえずここでは、「豊饒の海」4部作や「金閣寺」の影に隠れがちな「日曜日」が、歴史に残る名作であることを強調しておきたい。


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