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美人を追ってどこまでも [歴史]

 もし。

 「おっ、スッゲエ美人!」

 と、街角で声を上げたらどうなるでしょう。そこにいる男性の大半は反応鋭く辺りをキョロキョロ見回し始めるのではないでしょうか。何食わぬ顔をして、目だけはちゃっかり〝獲物〟を探している人もいるでしょう(笑

 美人であることは時に多くの同性を敵に回しかねませんが、美人が嫌いという男の話は聞いたためしがありません。

 当方もご他聞にもれずソワソワしてしまうタイプ。俗に「三日で飽きる」などといわれますが…そんなわけないわさ。もっともそんな女性と付き合ったことはなく、妻に娶ってもいないので実証不可能です(笑

 ともかく、男を代表する意気込みで美人研究に日夜いそしんでいる当方であります。

 ただし、世間とは少しばかり感覚の乖離があるようで…。乖離なんて小難しい言葉を使ってしまいましたが、要するにズレがあるということです。

 よく言われるんですよねえ。「お前はストライクゾーンが広すぎる」って。昔は面食いで通ってたんだけどな~

 話が逸れてしまいました。。。

 感覚の乖離について触れたのは、久しぶりに近代美人のことを取り上げようと思ったからです。

 確かに世の男性の大半は美人好きでしょうが、当方のように「昔の美人フェチ」で、究極の美人を発掘すべく日頃からアンテナを張り巡らしている人間となると、そうはいないと思います。

 残念ながらインターネットが普及しているとはいえ、一般女性の美人は存在を知ることすら困難。ですが、名の知れた人物に限っても美人データベースらしきものは作れます。まだまだ未完成ですが、今回はその中から海外の美女を何人かピックアップしたいと思います。

 名の知れた人物限定ということで、自ずとサンプル数に限りがあり、飛び抜けた美人とはいきません。それでも波乱万丈な人生という装飾が加わり、昨今のミス・ユニバースと比べても遜色ない魅力は備えていると思います。それでは100年以上昔にタイムスリップしてみましょう。

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 トップバッターは秋瑾(1875~1910年)。清代末期の動乱中国にあって革命に一生を捧げた女性です。中国版ジャンヌ・ダルクといったところでしょうか。

 浙江省紹興にルーツを持つ名士の家に生まれ、湖南省の豪商の息子に嫁いだ彼女は、革命への想いやみ難く、2児を生むと夫と別れて日本へ留学します。そして孫文を中心に東京で設立された革命団体の中国革命同盟会に加盟し、女性革命家としての道を本格的に歩み始めます。

 やがて清朝に気がねした日本政府が中国人留学生への締め付けを強め始めると、彼女はこれに激しく反発し、学生の一斉帰国を強硬に主張します。激情家だった彼女は集会で「反対者は死刑!」と声高に叫び、演壇に向かって短刀を投げつけたといいます。

 帰国した彼女は紹興に住み、革命家を育成するべく学校を設立し、武装蜂起に向け準備を進めます。しかし同郷の革命家、徐錫麟の蜂起に呼応して兵を挙げようとした彼女の企図は清朝によって挫かれ、捕らえられた2日後に斬首されてしまいました。

 着物を身に纏い、右手に日本刀を捧げたこの写真、彼女を取り上げる際に必ずといっていいほど用いられています。画像が鮮明でなく判別しずらい面はありますが、目鼻立ちが整っていて確かに美人。鋭い目つきから強気な性格が伺えます。

 彼女の写真は他にもいくつかあるようですが、残念ながらこれ以上に顔が良く分かる写真はまだ見つけていません。

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 次は今は亡きハワイ王国から。カイウラニ王女(1875~1899)は、王国最後の女王であるリリウオカラニ女王の姪にあたる人です。リリウオカラニには子供がなく、彼女は王位継承者とされていました。

 しかし、1893年にハワイ革命が起こるとリリウオカラニは退位に追い込まれ、やがて王国は滅亡。1898年には米国に併合されてしまいます。そしてカイウラニはその翌年、わずか23歳で病死してしまいました。美人薄命とはまさにこのこと。

 カイウラニの父親は白人(スコットランド人)で、鼻筋が通り、目がパッチリしているあたり、ネイティブハワイアンとはかなり違います。正面写真を見ると少し顎が張っていますが、エキゾチックな顔立ちは魅力十分。

 ちなみにこのカイウラニ、幼いころに日本の皇族との縁談が持ち上がったことがあります。リリウオカラニの兄で当時の王だったカラカウア王が、米国が虎視眈々と併合を狙う中で前途を危惧し、明治天皇に山階宮定麿王との政略結婚を持ちかけたのです。

 けれども不平等条約の撤廃を目指していた当時の日本は米国を敵に回したくないと考えたようで、結局この話は流れてしまいました。もし結婚していたならその後のハワイも日米関係も違ったものになっていたことでしょう。

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 凛々しい顔立ちをしたこの女性はジャネット・ジェローム(1854~1921)。あのウィンストン・チャーチルの実の母で、彼女自身は米国人です。

 チャーチルといえばでっぷりと太った第二次大戦前後の姿を思い浮かべますが、若いころはかなりの美男子でした。その形質はジャネットから受け継いだようです。

 ジャネットは夫に忠誠を尽くしつつも、英国国王のエドワード7世をはじめ多くの男性と浮名を流したといいます。そうした派手な男性遍歴は、チャーチルのキャリアアップにも何かしらの役に立ったようです。

 彼女は夫の死後、2度結婚しています。相手は2人ともチャーチルと同年代で、一方の男性に至っては3つ年下だったとか。

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 当時の女優に目を転じてみましょう。この女性はフランスのサラ・ベルナール(1844~1923)。彼女はおそらく最も有名な19世紀の女優でしょう。さまざまな舞台で活躍したほか、絵画や写真にもモデルとしてかかわり、19世紀後半から20世紀初頭にかけてフランスの芸術が大輪の花を咲かせる上で大きく貢献しました。草創期の映画にも出演しています。

 この写真は有名写真家のフェリックス・ナダールが撮影したものです。自然なしぐさにもかかわらず芸術的に見えるナダール独特の作風がサラの魅力を十二分に引き出しています。

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 こちらはサラと同様、女優で同時代を生きた英国のエレン・テリー(1848~1928)です。シェイクスピア演劇の役者として有名な人です。

 当時の女優は社会的地位が低く、サラ・ベルナールの場合は売春婦の娘として生まれ、自らも売春婦を兼ねていた時期があったようです。これに対してエレンは演劇一家に生まれ、子供も演出家や俳優になっている点、いわば演劇界のサラブレットと言え、サラとは似て非なる存在です。ただし、彼女もサラと同じく男性遍歴は華やかで(サラはバイセクシャル)、3度の結婚歴があります。

 このポートレートは16歳の時に撮影されたもので、撮影者は女流写真家のジュリア・マーガレット・キャメロンです。キャメロンは「巨匠」ナダールと違い、当時は半ばアマとして扱われ、評価が高まったのは20世紀に入ってから。脱力感のあるポーズに象徴される作風は、有名な「オフィーリア」を描いた画家ジョン・ミレーに代表されるラファエロ前派の流れを汲むといわれます。撮影者の作風が2人の個性の違いをいっそう浮き立たせています。

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 さて、19世紀の美人で当方が暫定トップに選んだのがこの目鼻立ちのくっきりとした正統派美人、アリス・ケッペル(1869~1947)です。ジャネット・ジェロームのところで触れたエドワード7世の「おめかけさん」として知られる人物です。

 エドワード7世は母親のヴィクトリア女王とは対照的に奔放な性格で、女遊びが激しい人でした。ベッドを共にした女性は数えきれず、その中にはサラ・ベルナールも含まれています(う、うらやましい)。その中でこのアリス・ケッペルは特にお気に入りで、片時も手放さなかったといいます。 

 アリスは伯爵家に嫁ぎましたが、そうはいっても相手は三男坊で跡継ぎではなく、裕福な生活は望むべくもありませんでした。彼女のような立場にある女性が生活や社会的地位の向上を望む場合、もっとも手っ取り早かったのが公妾になることでした。今のモラルではちょっと考えられませんが、当時はわりと当たり前のことだったといいます。

 気品にあふれたたたずまいに、「ロイヤル・ミストレス」としてのプライドが垣間見えます。


 いかがだったでしょうか。たった6人では満足できないかもしれませんね。美人研究はライフワークなので今後も取り上げていくつもりです。

 それにしても、6人それぞれ生い立ちや境遇が同時代人とは思えぬほど違っていて、見た目もさまざま。近代美人はそこがいいやね~

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 い、いやね、だからといって現代女性がダメだなんてこれっぽっちも言ってませんよ(節操なさすぎ?)


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