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20世紀を生きたサムライ [本(ほん)]

  今月ちくま文庫から出版された「田中清玄自伝」を読んだ。単行本出版から15年を経ての、ようやくの文庫化である。単行本は実家に置きっぱになっていて、久々に読んだが、いつ読んでもおもしろい。

  おもしろさの理由は、ほんの15年前まで生きていた人にもかかわらず、田中清玄という人間のスケールが、今では考えられないくらい大きく、人物に魅力があったことに尽きる。

  ざっと経歴を記しておくと、生まれは1906年。学生時代から共産主義運動に身を投じ、30年代には武装共産党の書記長を務めた。その後、獄中で転向して熱烈な天皇崇拝者となり、戦後は土建業を起こすかたわら、共産主義勢力の一掃に力を注ぐ一方、岸信介や児玉誉士夫とも激しく敵対した。国際的にも幅広く活動し、石油などのエネルギー獲得に貢献したほか、中国を含むアジア諸国の連携強化にも尽くした。93年死去。

  特筆すべきは交友関係の広さ。吉田茂、鄧小平らの政治家、池田茂彬、中山素平などの財界関係者、終戦に貢献した禅僧の山本玄峰、頭山満、欧州共同体創設に尽くしたハプスブルク家のオットー大公、ノーベル経済学賞受賞者のハイエク、UAE建国の父であるシェイクザイド、インドネシアのスハルト、タイのビブンソングラム、人類学者の今西錦司、評論家の大屋壮一等々。内外に関係なく、20世紀の著名人がこれでもかというほど出てくる。山口組三代目組長の田岡一雄ともかなり親しかった。 

 朝鮮戦争勃発をGHQ高官に予言したこと、ビブンソングラムの亡命を手助けしたこと、戦争が終わって昭和天皇に拝喝し、皇室財産を投げ出して国民を救い、国民の前に姿を見せるよう進言したこと、右翼でありながら学生運動を支援したこと、鄧小平と頻繁に会い、天皇訪中のきっかけを作ったこと…。内容の真偽はともかく、興味深いエピソードに事欠かない。

 田中清玄を一言で表現するのは難しい。よく右翼といわれ、本人もそう自認していたが、コッテコテの右翼という感じかというと、そうでもない。一方、エネルギーや建設の分野で暗躍したからといって、単なる利権屋という印象でもなく、児玉誉士夫に代表される、ある種の俗っぽさやいかがわしさが付きまとう戦後の右翼とは一線を画しているように見える。あまり右とか左にとらわれてすぎていると、正確な人物像をつかめないのかもしれない。

 田中清玄とは一体何者なのか。

 幸い本書はインタビュー形式でまとめられていて、彼の性格や考えがダイレクトに伝わるよう、気が配られている。目立つのは、敵対者や自身のモラルと相容れない人物に容赦ない非難を浴びせ、尊敬に値する人物に対しては惜しみない拍手を送る姿だ。語っている内容や行動が正しいかどうかは別として、彼のそんな姿勢には独自の勧善懲悪思想やダンディズムを感じる。

 ダンディズムを追求した日本人というと、白州次郎を思い浮かべる。ただ白州の英国流ダンディズムに対し、田中清玄の場合は徹底して武士のそれだった。

 彼の先祖は会津藩の家老だった。京都守護職を務めた松平容保の下で京都の治安維持に腐心し、戊辰戦争で死んだ田中土佐(玄清)は一族にあたる。会津藩は戦さに負けると、下北半島の不毛な土地に移封され、石高はわずか3万石に削られた(実際の取れ高は7000石ともいう)。斗南ではあまりに厳しい冬を越せず、餓死する者が続出したとされる。

 祖父は黒田清隆に取り立てられ、他の会津藩士や幕臣とともに北海道へ移住しているが、栄達した山川浩(陸軍少将、貴族院議員)がそうであったように、敗者の恨み、惨めさを忘れなかった。共産主義運動にのめり込む息子を諌めるため、自ら命を絶った母も、祖父同様に厳格な人だったようで、「お国のみなさんと先祖に対して、自分は責任がある」と遺書に書き残している。

 彼自身、「自分としては北海道生まれではあるが、生粋の会津人だと思っています」と述べている。彼を共産主義へ走らせた反骨精神は、そうした生い立ちによって培われた部分がかなり大きいようだ。

 会津藩は明治維新のすべてを否定していたわけではなく、勤皇思想は長州や薩摩以上に濃厚だったといっていい。田中は本書の中で、松平容保が信頼の証として孝明天皇からもらった御宸筆(手紙)を死ぬまで身に着けていたという、有名な逸話に触れている。

  ちなみに坂本龍馬については、薩長の挑発に乗ることに反対した田中土佐と同じ考えの持ち主であるかのように語り、その暗殺を「倒幕天誅を加えるテロリストたちは殺してしまった」と残念がっている。これは清玄の会津への思い入れが深かったことの表れといっていい。

 彼の存在が分かりにくい原因には、転向者だったこともある。だがそうした生い立ちからみると、共産主義運動に走ったことと、熱心に天皇を崇拝したことは、同じ心根から出ているように私には思われる。

 彼の退くことを知らない言動や、(自分なりの)武士道精神に執着する姿勢からは、その意味するところが良いか悪いかはともかく、「遅れてきたサムライ」という言葉が思い浮かぶ。ただ、激動の20世紀に生まれてきたことは彼にとって必ずしも幸せではなかったかもしれない。

  典型的な直言居士で、頑固親父で、自分の信念に一寸の揺らぎもない(悪くいえば自分の行為を躊躇なく正当化できるタイプとも、ハッタリ屋ともいえるが)人物だっただけに、思い込みで、あるいは意図的に事実を曲げていると思われる箇所もある。それに共産主義闘争や戦後のデモつぶし、資源獲得などのダーティーな部分にはあまり触れておらず、内容についてはきちんと吟味する必要がある。けれども田中清玄の「サムライ精神」を知るだけで十分、値打ちのある一冊といえる。

田中清玄自伝 (ちくま文庫 た 56-1)

田中清玄自伝 (ちくま文庫 た 56-1)

  • 作者: 田中 清玄
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2008/05/08
  • メディア: 文庫
     

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