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2つの自殺事件 [歴史]

  「歴史と車を中心に…」というタイトルのくせに、歴史そのものではなく、人の生き様や死に際の話ばかりになってしまっている当ブログ。時代評論的な文章も書きたいと思いつつ、波乱の人生に興味をそそられていることに加え、体調不良でそれどころではないという個人的事情も手伝って、一向に正統派歴史ファンのニーズを満たせておりません。しばらくはとりとめのない記事が続きそうです…。

 ところで、3月31日といえば年度末。なのですが、実は「エッフェル搭の日」でもあるそうです。ちなみに30日は「マフィアの日」。何で?と思うのは私だけではないでしょうが、理由はよく分かりません。

 エッフェル搭の場合ははっきりしています。1889年(明治22年)のこの日に落成式が行われたのです。フランス革命100周年を記念した同年のパリ万博でシンボルとして建設された高さ320メートルの巨大な塔は、現在もパリの象徴であり、市民の誇りとなっています。 

 ブログ・エッフェル塔.jpg

 しかし、いいことばかりではなく、不名誉な記録も持っています。エッフェル搭は飛び降り自殺の最古の映像が残っている場所でもあるのです。

 「事件」は1911年(明治44年)に発生しました(10年かもしれません)。羽根代わりのマントを背負って展望台の端に立つFranz Reicheltという名のドイツ人。それを傍らで見守る2人の男。しばらくした後、エイヤっと飛び降りた鳥人間。もちろん大空を羽ばたくことはなく、真っ逆さまに転落。地面に叩きつけられてしまったのでした…。

 初めから記録することを予定していたとあって、映像ははっきりしており、飛び降りを躊躇する男の動揺ぶりがよく見て取れます(映像はYOUTUBEで検索すれば見られます)。見守った男たちは興行師のようで、金をもらってしまい、引くに引けなくなってしまったのでしょう。今となっては、冒険者の多かった時代の象徴として前向きにとらえるべきであり、自殺という言葉を使うのは適当ではないかもしれません。

 当時は映画の発明から20年も経っていない時期で、興行師が争うように衝撃映像を求めていたことも、彼の不幸となりました。

 ちなみにこの10年後、皇太子殿下(後の昭和天皇)は欧州訪問の一環でパリを訪れ、エッフェル搭に登っています。だけど印象に残ったのは、エッフェル搭でもヴェルサイユ宮殿でもなく、自分で切符を買って乗った地下鉄だったとか。立派な建物を見学するより、庶民の暮らしに触れたことを喜ぶあたり、昭和天皇の性格がうかがえます。

  話は自殺に戻りますが、日本最古の高層建築を使った自殺は、いつどこで起こったかご存知でしょうか。実は1926年(大正15年)、東京・銀座に今もある松屋デパートでのことでした。

  「日本怪奇幻想紀行」の第6巻「奇っ怪建築見聞」によると、同年5月9日に松屋の8階から池野富蔵という男が飛び降りたとあります。彼の遺書には「僕の身は死しても心霊は藤江の身を離れない…」と綴ってありました。

日本怪奇幻想紀行 (6之巻)

日本怪奇幻想紀行 (6之巻)

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  • 出版社/メーカー: 同朋舎
  • 発売日: 2001/03
  • メディア: 単行本

  遺書には「僕は今酒を飲む」とありますので、酒の力を借りて飛び降りたようです。藤江という女性に捨てられた末の投身自殺であり、彼女と彼女の家族に対する当てつけだったようで、いかにも自由恋愛による結婚が増え始めた大正期らしい自殺ともいえます。自殺の影響で、高い建物からの飛び降りが頻発。手を焼いた警察は、死体をしばらく放置するなど、見せしめ的行動を行ったとか。

  取り上げた2つの自殺は、いつれも歴史の教科書に載るような話ではありません。が、自殺もまた人間による行為だけに、時代を反映しているといえそうです。

 追記=「マフィアの日」は、1282年の3月30日、フランス支配下のシチリアでフランス人の蛮行に対抗した「晩鐘事件」という暴動があったことに因むようです。


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