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処刑人が見たフランス革命 [歴史]

 

         (革命広場で行われたルイ16世の処刑模様)

 このところ、風邪気味にもかかわらず、フランス革命関連の本を夢中で読み漁っている。遅ればせながら、漫画「ベルサイユのばら」を初めて読み、あらためて興味を持ったのだ(ホント、遅すぎですよね)。架空の人物が登場し、史実と異なる箇所があるとはいえ、多くの人が激動の時代に翻弄され、波乱に満ちた生涯を送った様子を、見事に活写している。

 フランス革命は一般的に、1789年のバスチーユ牢獄陥落に始まり、ルイ16世やマリー・アントワネットの国外逃亡失敗・処刑を経て、恐怖政治を敷いたジャコバン山岳派のマクシミリアン・ロベスピエールらが処刑されたテルミドール9日のクー・デター(94年7月)をもって、終了とされる。あるいは、99年のナポレオンによるクー・デターで「とどめ」を刺されたとする意見も多い。

 いずれにせよ、「自由、平等、友愛(同胞愛)」の実現を目指す過程では、明らかに無実の者を含め、おびただしい数の人が処刑された。一方、後世になってもフランス革命の時代に思いを馳せる人が多いのは、こうした悲劇が暗い華やかさを添え、誘蛾灯の役割を果たしているからともいえる。

  もちろん、こうした歴史の楽しみ方は、後世の平和な時代に生きる人間だからこそ、許されるのにちがいない。

  詳しく調べていないが、革命期にフランス全土で処刑された人の数は、対外戦争や内戦の犠牲者を除いても、数万、あるいは10万人以上に達するのではないか。フランス革命下のパリでは、恐怖政治の真っ只中である93年3月から94年7月までの間に、2362人がギロチンで処刑されたとされる。多い日には60人以上が首をはねられた。

  フランス革命が明治維新などと比べて特徴的なのは、彼らが公開処刑された際の様子が証言や日記で残され、また処刑を一貫して指揮した人物がいることだ。

 

 彼の名は、シャルル・アンリ・サンソン(1739‐1806年)。「ムシュウ・ド・パリ」と呼ばれた処刑執行人である。パりの処刑執行人を事実上、世襲していたサンソン家の当主で、16歳から40年以上の長きにわたって処刑を手がけた。

 彼は不幸にも激動の時代を生きたがために、先祖や子孫よりはるかに多い人間を処刑する破目になった。その中には、ルイ16世やマリー・アントワネット、マクシミリアン・ロベスピエールといった歴史上の人物が含まれる。ジャコバン派指導者のジャン・ポール・マラーを暗殺した女性のシャルロット・コルデー、ルイ15世の公妾で傾国の美女といわれたデュ・バリー夫人、ルイ16世の従兄弟にもかかわらず死刑に賛成票を投じ、自らも処刑されたオルレアン公ルイ・フィリップ・ジョゼフも、彼によって処刑された。

 バーバラ・レヴィ著「パリの断頭台」には、サンソン家の人々が処刑執行人として市民から恐れられ、彼らが差別撤廃と地位向上に苦労してきたことが記されている。その苦労については同書を読んでいただきたいが、生活は比較的恵まれていたとはいえ、シャルル・アンリもまた偏見と戦いつつ、そして自身が処刑される危険に直面しつつ、粛々と執行人の義務を果たした。

 革命を防げなかったことで、愚鈍で無能とされることの多いルイ16世だが、死に際は見事だったというほかない。93年1月、革命広場に護送された彼は、死を見届けにきた大群集に向かい、こう叫んだとされる。

 …私は、私が告発されたすべての罪について無実のまま死ぬのだ。私は、私を死に就かせる者たちを許す。そして、私の血がフランスの上に流されることのないよう、神に祈る…
         
 ひと月後、王を弁護するシャルル・アンリの手紙が新聞に掲載された。革命が過激さを増す状況下にもかかわらず、結びはこう締めくくられていた。「ルイ16世ほど偉大な信仰家はいなかった」。彼は処刑前に2度、ルイ16世と会っている。給与支払いを陳情しに行ったときと、王が立ち会ってギロチンを改良したときだ。ルイ16世を処刑したギロチンが、王自身の意見で改良されたものだったことは、よく知られている。心情的に王党派だったとされるシャルル・アンリは処刑翌日、弔いのため、自らの素性を隠して司祭にミサを願い出たといわれる。

 王の死から6カ月後に行われたシャルロット・コルデーもまた、堂々と死んでいった。暗殺者とはいえ、その美貌から「暗殺の天使」と呼ばれた彼女は、25歳の田舎娘にすぎなかった。気を遣ってギロチンを見せまいとしたシャルル・アンリに対し、コルデーは「私だって物見高くなってもいいでしょう。まだ一度も見たことがないんですもの」と語り、身を乗り出した。シャルル・アンリは断頭台までの護送中、彼女の願いを聞き入れ、革手錠を緩めたといわれる。人は彼を、「人道的な処刑人」と呼ぶようになった。

(マラーを暗殺し、処刑されたシャルロット・コルデー=1860年の作品)

 さらに3カ月後、マリー・アントワネットが処刑された。護送の目撃者によると、騎士道精神の持ち主であり、スノッブ(気取り屋)でもあったとされるサンソンは、元王妃をきわめて丁重に遇した。マリー・アントワネットの最後の言葉は、足を踏んでしまった処刑人に対する「ごめんあそばせ。わざとしたわけではありませんのよ」だったとされる。相手はサンソンだった可能性が高い。彼の見たアントワネットは、最後まで威厳と気高さを失っていなかった。

 こうして彼らの死に際をみてみると、ギロチンにかけられた人々の多くが、毅然として、あるいは従容として死んでいったことに驚く。革命側におもねって名を「フィリップ・エガリテ(平等)」に変え、ルイ16世の代わりに王位を得ようとしたとされるルイ・フィリップ・ジョゼフも、死に際は落ち着き払っていた。脚にぴったりはまった長靴を脱がせようとしたシャルル・アンリの助手に対し、彼は驚くほど冷静に答えた。「後からやった方が脱がせやすかろう」。ジャコバン派に政権を奪取されたジロンド派の重要人物、ロラン夫人は、死刑判決が下ると、微笑みさえ浮かべた。

 …あの恐ろしい時期に命を落とした女達の中で、断頭台を正視出来なかったのは、彼女1人であった…(中略)…もしこのすさまじい時期の犠牲者たちが、あれほどまでに誇り高くなかったなら、あんなに敢然と死に立ち向かわなかったなら、恐怖政治はもっとずっと早く終わっていたであろう…

 画家で、マリー・アントワネットなどの肖像画を遺したルブラン夫人は、回想録で死にゆく人々について、そう述べている。ここで例外的に「断頭台を正視出来なかった」と書かれているのは、デュ・バリー夫人のことだ。

 デュ・バリー夫人の処刑は、シャルル・アンリの心を最も深く傷つけたかもしれない。20年以上前、公妾になる前の美しかった夫人を知っていたからだ。50代になり、往時の面影がないほど太り、やつれた夫人は、死に際して歯の根も合わないほどガタガタ震え、自分は無実だと金切り声を挙げ、再会した彼に助けを求めた。彼は悲痛のあまり顔をそむけ、処刑を息子の手に委ねた。2人が恋人同士だったとする説があるが、真相はよく分からない。

 革命は、ロベスピエールの死によって一応、終焉を迎える。恐怖政治を敷いた独裁者の最後は悲惨だった。ロベスピエールを「清廉の士」ともてはやしていた群集は、自殺に失敗して逮捕され(撃たれたとする説もある)、サン・ジュストら仲間とともにこれから処刑される彼に対し、罵詈雑言を浴びせかけた。この時、シャルル・アンリ自身がどうふるまったか、いかなる感想を抱いたかは分からない。が、ロベスピエールの首が落ちたときの彼は、それまでの経験と合わせ、革命の本質=冷酷非情さ=を、誰よりも理解していたにちがいない。

 10カ月後、今度はロベスピエールの元同志で、彼に有罪を宣告した元検事のフーキエ・タンヴィルが処刑される。シャルル・アンリに処刑を指示してきたタンヴィルは死ぬ間際、脅すように言い放った。「奴等が検事(私)を死刑に処すからには、処刑人にも死刑を課さないはずがない。どちらも同罪なのだからな」。幸い、シャルル・アンリは自身の仕事場で処刑されることをまぬかれた。

 「パリの断頭台」には、シャルル・アンリが亡くなった1806年、マドレーヌ寺院の建設現場で、絶頂期のナポレオンに出会ったエピソードが書かれている。処刑人を不気味がりつつ、
 「もしある日、私に対し反逆が起こったとしたら…」
 と問いかけたナポレオンに対し、シャルル・アンリは
 「閣下、私はルイ16世を処刑いたしました」
 と落ち着いて答えた。ナポレオンはしばし顔色を失った後、「私の目の前から失せろ!」と吐き捨てた、という。

 よく処刑されることを指して、「断頭台の露と消える」という。言葉の語源について調べてみたものの、どうしても分からなかった。だが、断頭台の露とは死者に向けられた、あるいは自分に向けられた、シャルル・アンリの涙だったのではないか、とさえ思えてくるのだ。

 ◆サンソン家の人々について書かれた本には、ほかにも「死刑執行人サンソン―国王ルイ十六世の首を刎ねた男」(安達正勝著) があります。こちらは新書ですが、手に入りやすく、「パリの断頭台」を含む多くの資料をもとに、サンソン家の歴史を簡潔にうまくまとめています。内容の豊富さを優先するなら「パリの断頭台」をオススメしますが、文字が小さいので、おおよその内容を把握したいならこちらがよいと思います。

パリの断頭台―七代にわたる死刑執行人サンソン家年代記

パリの断頭台―七代にわたる死刑執行人サンソン家年代記

  • 作者: バーバラ・レヴィ
  • 出版社/メーカー: 法政大学出版局
  • 発売日: 1987/08
  • メディア: 単行本
死刑執行人サンソン―国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書)

死刑執行人サンソン―国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書)

  • 作者: 安達 正勝
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2003/12
  • メディア: 新書

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