東京散歩 [旅の記録]
旅好きと上昇気流に乗れない体調と多忙とが一致団結して共同戦線を張っているようで、このところ「東京から脱け出して~」とボヤくことしきり。でもそんな時に限って釘付け状態だったりしています。首都圏を出たのは昨年秋の大阪出張が最後だったかな?ガス抜きが必要なようです。
けれどもこの3連休は、うち2日が仕事絡みで自宅待機状態。最終日にようやく解放されたものの、あい変わらず起き出しが遅く、結局、遠出はかないませんでした。
そんな3連休も終わろうかという昨日の午後過ぎ。休日出勤していた後輩クンから電話があり、仕事がひけた後で当方の自宅近くまである物を受け取りに行きたいとの由。そこで遅くにこっちまで来させるのはかわいそうだし、ちょうど流すにはうってつけの距離なので、ドライブがてらこちらから都心へ出向くことにしました。
いつもなら首都高に乗るだけですが、この日はひとつ手前の外苑で降りてある場所へ立ち寄りました。
ここは六本木の交差点を都心方面に3、4分ほど歩いたところ。六本木といえば東京有数の繁華街ですが、ここら辺は六本木ヒルズのある反対側とは対照的に、人通りはかなり少なめです。
表は首都高が邪魔でかなり殺風景。東京タワーが見えるのが救い。
実はこのマンション、田舎にいた子供時分から何度も目にしてきました。
このボロボロになった雑誌は、毎日新聞社の「毎日グラフ 別冊」。奥付には昭和42年4月1日発行とあります。「事件記者百年」という副題のついたこの雑誌は、過去100年間に起こった事件や事故を数々の貴重な写真を交えつつ紹介したもので、当方が近代史好きになるきっかけを作った雑誌でもあります。
裏返すと…
紛れもなく六本木ハイツです!「もしかしたら現存しているかも…」との思いが頭をかすめ、住所が今と違うため、印刷された簡単な地図を頼りに探したわけですが、結果は大当たりでした。それにしても、1967年に建てられたマンションが44年を経た今なお現役とは。
面白いのが値段。最近の分譲価格をちょっとググってみると、53・55平方メートルで3200万円とありました。
もちろん、きちんとリフォーム(最近はリノベーションというようですね)されているので、ロケーションからすれば手ごろかもしれません。
対する広告の値段は、
約45平方メートル(395万円)、約60平方メートル(550万円)、約76平方メートル(755万円)
最高でも755万円!激安です。バブル最盛期ならその5倍どころか、建築年数を考慮に入れても6000万円は下らなかったでしょう。この間の不動産価格の上昇ぶりがいかにすさまじかったかが分かります。親がこの時期に東京の不動産を買っといてくれれば…
もちろん当時の大卒初任給は2万5584円しかなく、おいそれと買えるシロモノではなかったわけですが。
タイムマシンで1度だけ過去の日本を遡れるとすれば、どの時代に行きたいですか?
当方が3つ候補を選ぶとすれば、まず幕末、それに大正時代。そして、ちょうどこのマンションが建てられたころです。
1967年といえば、学生運動が大盛り上がりした年。「サイケデリック」「ヒッピー」などという言葉が世の中にあふれ返った年でもありました。あのツイッギーが来日してミニスカートが大流行したのもこの年のことです。
日本全体が活気とエネルギーに満ち溢れていて、若者たちが既成概念の打破に全力でぶつかった時代。そして若者文化は70年~80年代と違いどこか退廃的かつ厭世的で、その分だけ人を魅きつけてやまなかった-そんな印象があります。生まれるほんの数年前だけに、この時代をリアルタイムで体験できなかったのは本当に残念。
「六本木ハイツ」はその時代を知っているんですよね。そう思うと何てことのない外観ながら、何だかすごい建物を見ているような気がしました。
ほんのつかの間の時間旅行でしたが、寄り道のおかげでなかなか良い一日になりました。こういうことがあるから東京暮らしはやめられない。
えっ、さっきと言ってることが違う?すみません。それは昨日の自分が言ったこと、としか申せませんm(__)m
まあ、人間なんてそんなもの。
余談ですが。
自分にしては良く撮れたのでおまけで載せておきます。今年こそカメラの腕を上げたい。。。
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