モーターショーではありません・その2 [車]
われながらしつこい(笑。
お盆に保養と気晴らしのため、下呂温泉と高山を旅行し、愛知県長久手町にある「トヨタ博物館」に立ち寄りました。今回は、その際の写真です。写真の整理がてら…最近どこにも行かずネタが枯渇しているのがバレバレです(笑。
この施設、一度は訪れてみたいとかねがね思っていました。日本だけでなく、世界の自動車史をいち時に振り返れる施設、そうはありません。
この日はちょうど、東名の上りが地震による土砂崩れで寸断された日。到着までどれだけかかるか皆目見当がつかず、「これはあきらめざるを得ないかな…」と覚悟しつつ東名に乗ったところ、意外にもガラガラ!予想より早く到着し、最低限の疲労ですみました。
当日は子供連れだらけ。「働くクルマ大集合」と銘打った企画展があったのです。あまりの混雑ぶりに、「少子化ってほんとかいな」と戸惑いつつも、自動車人気に安心。
館内には予想に違わず、数々の貴重な車が展示されていました。創立50周年を記念して建設されたとはいえ、これだけの立派な施設、なかなか作れません。他社の車も盛りだくさんで、しかも公平に展示されていました。自動車文化の発展に貢献しようというトヨタの心意気をひしひしと感じます。
ぜひ足を運んでいただきたいのですが、行けない方のためざくっとご紹介。
プジョーのペペ(1913年)です。自動車の発明は1886年ごろとされています。この車が登場したころには世界中に広がり、馬車と交代しつつありました。別の機会に触れますが、国産自動車が登場したのもこのころです。
ちなみにこの前年、ブリヂストン創業者の石橋正ニ郎は、地元・久留米で地下足袋の宣伝に車を使うという、画期的な手法を取り入れました。その車は久留米地方で初の自動車だったそうです。
シボレー マスター シリーズ DA。1934年製です。以前、この時代の米国のハイウェイを映像で見る機会があり、想像していた以上に発展していたので、目を丸くした記憶があります。車を見ても、日本がとうてい太刀打ちできる相手ではなかったと再認識させられます。
ドラージュ タイプD8ー120(1939年)。フランスの高級車です。あまりの優雅さ、美しさに見とれてしまいました。
おなじみフォルクスワーゲン。これはプロトタイプ(1938年、レプリカ)です。ポルシェ博士が企画した車で、ヒトラーが進めた国民車構想に採用されました。同じデザインでも後年の車体とはひと味違った魅力があります。
日本の国民車第1号ともいえるトヨタのパブリカ UP-10型(1961年)。この時代まで、日本メーカーのビジネスは欧米メーカーとの技術提携によるノックダウン生産が中心で、いちから開発した純粋な日本車はクラウンなどほんのわずかでした。パブリカは、一般庶民が何とか手に入れられる点でも、日本メーカーが事実上の独立を果たす端緒となった点でも画期的な車でした。
フジキャビンです。登場は1956年。このころの欧州や日本には、戦後の物資不足を背景に、自動車というより、屋根付きの3輪スクーターといった方がふさわしい、いわゆる「バブルカー」が相次ぎ登場しました。フジキャビンは、イタリアのイソ・イセッタ(正確には4輪)、ドイツのメッサーシュミット KR200と並ぶ存在。敗戦国の御三家ですね。
ちなみに、ボディ素材には軽量化のため、世界で初めて繊維強化プラスチック(FRP)を採用しています。車体重量はわずか約130キロ。大人2人でも持ち上げられる軽さです。
とはいえ、非力なエンジンに対しては、これでも重かったようで、あまり売れなかったようです。
個性派をもう1台。コニー・グッピー(1961年)です。やはりスクーターからの乗り換えを狙った車でしたが、199CCと非力で販売も伸び悩み、2年後には姿を消してしまいました。う~ん、おもちゃみたいでかわゆい。
ともかく、体調不良の中、無理して立ち寄って本当によかったです。車好きの天敵ともいえるわが山の神もかなり楽しんでおりました。
この人、到着するやいなや、すぐメシを食いたいと言い出し、食べ終えたかと思えばいきなりひと言。「早く温泉につかりたい」。な、なんちゅう奴!
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