SSブログ

夏休み企画第2弾・その5 [旅の記録]


 3日目。早めに起きて大連駅前のバスターミナルへ。刺激的だった大連との別れを惜しみつつ、遼東半島の南側を走り、半島付け根に近い丹東市へ向かいます。

ブログ・丹東行きバス.JPG
(古いけど我慢できるレベル、かな)
                

 バスはご覧の通り。以前、上海国際空港から上海駅まで乗ったバスに比べるとワンランク以上落ちます。けど値段が120元(1元=約16円)と安いのであまり文句は言えません。

 それにしても、開発途上国のバスっていっつも満員。慣れている私はハナっから覚悟ができているので平気ですが、こういう国にあまり行かない山の神なら乗り心地の悪さにグッタリするところ。旅が楽しすぎて山の神のことすっかり忘れてました(笑。ま、向こうも今ごろ趣味の社交ダンスにでも夢中になっていることでしょう。

 遼東半島って意外と大きいんです、大連から丹東まで約300キロ。宮崎からだと佐賀あたりまででしょうか。かえって分からないですね(笑。乗務員のおじさんに聞くと、所要時間は5時間。距離の割にかかるのは、途中で何カ所か小さな街に立ち寄るため。数年前に高速道路が整備されており、直行なら3時間ちょっとで行けるはずです。

ブログ・遼東半島.JPG 
(予想に反して緑がいっぱいでした)
  

 砂っぽい荒野だった昔と違い、田んぼとコーリャン畑が広がっていて、本土とは趣を異にしています。広々としていて、遠くまで見通せる点は大陸的。なかなかの景色でした。

 途中でさらにオンボロなバスに乗り換え、丹東には午後2時ぐらいに到着。人口240万の大きな都市ですが、中国の市の面積は日本の都道府県に匹敵するので、割り引いて考える必要があるでしょう。個人的な印象では、大連が神戸市よりやや大きいぐらい、丹東は鹿児島市や金沢市と同じかやや小さいぐらい。もっとも中国は高層建築が多く、経済規模以上に街が大きく見えるため、この比較はあてにならないかもしれません。

 丹東駅近くのバスターミナルに到着すると、そのまま大通りを1キロ半ほど歩きます。目指すは鴨緑江の川岸。北朝鮮との国境をひと目見たかったのです。

 丹東の街は鴨緑江の河口をやや遡ったところにあり、川を隔てて北朝鮮の中でもけっこう大きな新義州市と向かい合っています。両市の間は車と鉄道が通れる中朝友好橋という大きな橋で結ばれていて、隣にもうひとつ断橋と呼ばれる壊れた橋が並行してかかっています。こちらは朝鮮戦争で米軍によって破壊されたままになっていますが、中ほどまで歩けます。この日も多くの観光客が歩いていました。

ブログ・中朝友好橋.JPG

    (中朝友好橋。右下に注目。この様子を北朝鮮の人々が見たらどう感じるのでしょう)

 中国側の雰囲気は完全に観光地。岸辺でカップルがいちゃついてたり、出店のソフトクリームをおいしそうに食べる人がいたりして、いたって和やかなムードでした。別に険しい顔つきでいる理由はないんですけど。

 橋は歩きませんでした。中国側の橋のたもと近くに桟橋があり、遊覧船かモーターボートで川をぐるりと一周できるからです。その方がより対岸に近寄れますし、川幅が1キロ近くあるので、中ほどまでとはいえ先端まで歩くのは大変。遊覧船が70元、ボートが80元だったでしょうか。速くて気持ちよさそうなボートにしました。ゆっくり景色を楽しみたい方は、遊覧船の方がいいと思います。
  
 チケットを買って桟橋に入ると簡単な手荷物検査を受けます。バックを丸ごと持っていたので、軍人さんとおぼしき人が丹念にチェック。国境を感じさせられた瞬間でした。

 ライフジャケットを着てボートに乗り込み出発。ぐいぐいスピードを上げていきます。橋をくぐってから対岸近くに到達すると、対岸から100メートルぐらいの距離を保ちつつゆっくり進みます。さて対岸の様子は…。

 ううう…全然見えん。対岸からわずか100メートルといっても、アトピーの影響で視力が低下している私にはちょっと厳しい距離でした。ここは観念して、ひたすらデジカメで撮影し、液晶の画像を拡大して確認することに。ここまで来た意味ない…。振動でシャッター切りにくいし。

ブログ・新義州の川岸.JPG

   (水浴びしている余裕があるのか、仕事がなくてヒマなのか…)

 北朝鮮側の川岸、それほど面白くないです。停泊している船の中には軍の船もありましたが、いかにもガラクタで整備不良は一目瞭然。人々は仕事をするでもなく、まったり座っているだけ。建物は日本の国民宿舎を思わせる無味乾燥なものや、煙突のある工場らしきものがポツンポツンとあるぐらいで、後は樹木でさえぎられてしまっています。背後の街をうまく隠し、肝心な情報を与えないなんて、さすがは北朝鮮。う~ん、人々の表情は分からないし、手を振ってくれるわけでもなし。おもしろくない…。

ブログ・北朝鮮の軍艦.JPG
 (軍艦らしき船。ボロい…)
              

 北朝鮮国境に行くなら、丹東よりもっと上流の川幅が狭いところを目指した方がいいことは分かっていました。ただ時間がかかるし、事前にグーグルアースで対岸からすぐ近くに新義州駅があり、そこを基点に街が広がっているのを確認していたので、期待しすぎてたんです。

ブログ・丹東側.JPG

    (北朝鮮側と対照的に大きなビルが立つ丹東側) 

 それでも収穫は大いにあって。というのも、見たかったのはむしろ中国側だったんです。丹東の街もご他聞に漏れず経済発展のさなかにあり、川に面した場所には大きなマンションやホテルがどんどん建設されています。ちょっとしたリゾート都市といっていいほど。高層ビルからは新義州の様子が分かるでしょうし、新義州の人々もビルを見ているはず。これは北朝鮮政府にとってけっこうな脅威なのでは。目の前で札束をブラブラさせられているようなものですから。

 丹東の街には北朝鮮の人々が5000人ほど生活しているとか。出稼ぎで越境する人もけっこういます。「鎖国」は徐々にほころびを見せているようです。丹東のある旅行会社では、中国人向けに新義州や平壌を訪れるツアーを公式に扱っています。友好国同士とはいえ、交流が限定されてきた両国ですが、経済的には北朝鮮の中国依存が加速しているのは間違いないでしょう。

 それに私が乗ったボート。100メートルの距離にまで近づいた時点で、すでに正式な国境を越えているはずです。世界では川の真ん中か、最も深い場所が国境のケースがほとんどですから。ボートを運転していた人は軍人のようで、おそらく北朝鮮にいくばくかのカネが渡っているのではないでしょうか。対岸の人々は役者さんだったりして(笑

 あと驚いたのが対岸に近づいた際の出来事。「ピー・ピー」という電子音がし始めたので後ろを振り返ると、何と若い中国人のお嬢さんが携帯で話し始めたんです。丹東側の岸からは少なくとも700メートル以上ありました。そんな所まで電波が届く、ということは、北朝鮮側と川と挟んで通話できるのかもしれません。日本の開国もそうでしたが、発端は情報の流入であることが多いだけに、とても興味深い出来事でした。

ブログ・中朝友好橋2.JPG
  (当日はいい天気。モーターボートに乗るだけでも楽しめました) 
                        

 四方を海に囲まれた日本にいると、国境ってあまり気にしないですよね。

 現代的な意味での国境の概念が生まれたのは、1648年のウエストファリア条約がきっかけ。そんなに歴史があるわけではありません。国民や国土を統治する力を持った国家という存在が生まれ、互いの縄張りを確認するために生み出した意味合いが強いのです。本来は自由に通行できるところを、政治的に線引きしているからこそ、政治状況によって経済交流の場となったり、紛争の火種になったりするわけで。

 個人的には、今後は国家の力がこれまで以上に強まることはなく、同時に世界中で繰り広げられている領土争いの多くは大規模な紛争に発展することはないと楽観的に見ています。欧州がそうであるように、いつの間にか国境を越えていた、という時代が、他の地域でもいずれは到来すると思っています。

 中国と北朝鮮の場合はいまだに国家権力が強力なので、国境の重みはしばらく変わらないでしょう。それでも両国政府が望むと望まざるとにかかわらず、増加する観光客とやり取りされる情報によって、国境の「目方」は少しづつ軽くなりつつある‐。それが今回の感想です。それが北朝鮮の権力構造にどういう化学反応を起こすのかまでは予測できませんが。

 伝えられている情報が正しいとすれば、私が訪れた日にはすでに金正日総書記は病院のベッドにいたことになります。金総書記の重病説はこれまでにも何度か報じられてきました。今回は事実っぽいですが、国内の反対勢力や米国の反応をうかがうためのガセである可能性もあります。いずれにせよ、年齢を考えると彼の思考力は衰えていく一方でしょう。

 私は90年代から北朝鮮の崩壊はしばらくないと一貫して思い続けてきました。軍の中枢を金総書記が握っていて、強力な国家権力に抗うだけの勢力が他になく、民衆には外国の情報が入っておらず、革命を起こそう、現体制を崩壊させようという意識が芽生えていないと思ったからです。政権が覆るとすれば、それは代替わりの時だと思ってきました。

 金総書記がなぜ後継者を決めてこなかったのか謎ですが(後継者に寝首をかかれるのを避けるためでしょうか)、これからは彼が望むと望まざるとに関係なく、代替わりが実行段階に入っていくのは間違いないでしょう。それに加えて情報の浸透。今後はいっそう北朝鮮情勢から目が離せません。

 わずか10分間の「船旅」でしたが、いろいろ考えさせられました。思えばこの国境、過去に何度も当事者が変わっています。100年近く前は、朝鮮半島を植民地化した日本と清の国境でした。清はやがて中華民国になり、満州国になりました。戦後は日本に代わって北朝鮮が新義州の主になりました。そして今は猛烈な経済発展が続く中国と、世界で最も発展の遅れた北朝鮮が向かい合っているわけです。北朝鮮が韓国に統合されたらという仮定も含め、10年後、20年後の国境がどう変わっているのか、興味がつきません。

 余談です。帰国してから画像を見ていたら、意外なものが。

ブログ・新義州の観覧車.JPG
                

 画像の左端に観覧車が写っているの、分かるでしょうか(分からなければ画像をコピーして拡大してみてください)。観覧車に使うエネルギーがあるのでしょうか。それとも動いていないのか。

 余談ついでに、新義州から20キロほど南の龍川駅近くで2004年に大規模な列車爆発事故があったのは記憶に新しいところ。事故とされていますが、実際どうなんでしょう。私の見た範囲ではピリピリ感は全くありませんでした。はたして政権転覆の動きが水面下で進んでいるのでしょうか…。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。