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近代日本の美人たち [歴史]

 今回も近代日本の話です。私が近代好きな理由の1つに、写真の存在があります。古い写真、特に人物写真は、ポーズや服装、表情から人間性や時代性がそこはかとなく感じられ、見ていてほんとに飽きません。「当時の人々はこういう暮らしをしてたんだろうな~」などと、ひとり想像をふくらませています。完全にフェチですね…。

 そこで今回は、有名か無名かを問わず、近代史を彩った美女たちに登場してもらうことにしました。あくまで独断と偏見でピックアップしましたが、つまらない前置きはこのくらいにして、とくとご覧あれ!

ブログ・有栖川宮妃.jpg 

 まずは有栖川宮熾仁親王の妃、董子(ただこ)です。熾仁親王は皇女和宮の許婚だった人。和宮が公武合体で徳川14代将軍家茂と結婚した後、水戸藩主・徳川斉昭の娘、貞子と結婚するも、2年後に貞子が死去。1873年(明治6年)に再婚したのが董子でした。彼女は新発田藩主、溝口直溥の養女。日本赤十字社の活動に夫とともに尽力しました。「おすべらかし」の豊かな髪が印象的です。 

ブログ・お吉?.jpg 

 さまざまな本で唐人お吉とされてる女性です。唐人お吉は幕末に来日した米国総領事、タウンゼント・ハリスの世話をした下田の芸妓。有名なので詳細は省きますが、ハリスは高齢&病弱で、しかも世話した期間はたった3日だけだったにもかかわらず、お吉は周囲の偏見からか、後にアルコール依存症となり、50歳で自殺してしまいます。

 が、私はこの女性はお吉とは別人で、東京の芸妓とみています。お吉は1841年生まれとされていますが、こ真の女性は明らかに10代。当時はほとんど写真が普及しておらず、時代とのつじつまが合いにくいからです(米国人が撮影した可能性もありますが…)。いずれにせよ、整った顔立ちをしていてかわいいですね~。

 追記・この写真は明治期に日本で活動したイタリア人写真家、アドルフォ・フォルサリが1880年代に撮影した「士官の娘」という作品だそうです(日下部金兵衛などとする説もあり)。

ブログ・陸奥亮子.jpg

 昔の美人として最もよく語られるのがこの人、陸奥宗光夫人の亮子です。彼女も董子と同じく後妻にあたります。新橋で一、二を争う美貌の名妓で、花柳界に身を置きながら、男嫌いの評判があったくらい、身持ちは堅かったそうです。夫の外交を支え、社交界の華とうたわれました。

 ちなみに、この時代の大官で芸妓出身の妻を持つ者が多い背景には、社交術に長けた彼女たちを、欧米との不慣れな外交に役立てる意味合いもあったとも。 

ブログ・下谷のさかえ1.jpg 

 下谷の芸者、さかえ。大正時代(おそらく初期)に絵はがきのモデルとして活躍した人だそうです。この時代の絵はがきは、日本の文化習俗をテーマとし、美人モデルが少なかった明治初期の海外向け絵はがきとは違い、ブロマイドの役割を果たしていたものが多いようです。しかもそれ以前に比べて美人が多い。近代化が進むとともに、モデルになることへの抵抗感が薄らいだことで、美人のモデルが増えたのでしょう。それでも芸者をモデルに使っている点は古い時代ならではといえます。 

ブログ・朝吹磯子11.jpg

 「ある肖像」で取り上げた朝吹磯子です。彼女の人生は前に書いた通り。16歳で朝吹常吉に嫁いでからは、流行の最先端をゆく洋装の写真が多くなります。この写真はおそらく結婚直前の学生時代と思われます。彼女の写真はどこか寂しげな表情をしたものが多いのですが、珍しく微笑みを浮かべています。

ブログ・林きむ子.jpg

 「大正三美人」の1人、林(日向)きむ子です。大正三美人は、柳原白蓮、九条武子、江木欣々(栄子)の3人をさす場合と、欣々の代わりにきむ子を入れる場合があります。白蓮と武子の日本的な顔立ちに対し、きむ子は彫りの深いバター顔で、現代人の尺度で見れば2人よりはるかに美人。

 彼女は義太夫語りの両親の間に生まれ、料亭の養女になった後、彼女に一目ぼれした代議士、日向輝武の妻となりました。結婚後に住んだ東京の広大な屋敷は、蛇がよく出没することから蛇屋敷と呼ばれ、彼女は「蛇を愛づる美女」と噂されたそうです。6人の子を産んだ彼女は、青踏社とは対照的な団体「新真婦人会」で文筆家として活躍します。

 ところが、夫が汚職事件で政治生命を絶たれ、事業も傾いて屋敷を手放す事態に。彼女は原稿執筆のかたわら、美容液を考案して一家を支え続け、夫が狂死すると1歳年下の薬剤師と結婚。世間からの非難を、「私は断じてはじめての恋と呼ぼう」と強気に跳ね返しました。その後は日本舞踊の世界で長く活躍しました。

 大正三美人は美しさが際立っていたというより、波乱万丈の人生をマスコミによってセンセーショナルに取り上げられた側面が強いといえます。が、きむ子は文字通り美人。一方で意志の強そうな顔立ち通りの〝我が道を行く〟的な生き方は、それまでになかったタイプといえます。

ブログ・新橋の音丸.jpg

 最後にゆうこりん(笑)。じゃなくて新橋の芸妓、音丸です。さかえと同じく大正期に絵はがきで売れっ子となりました。洋装ということもあり、今の写真といっても分からないほどモダンですね。かわいらしい顔をしながら、花柳流の踊りもかなりうまかったそう。のちに尾上菊五郎の媒酌で、清元の家元に嫁ぎました。

 いかがだったでしょうか?こうして見てみると、美人の人生もいろいろですね~。 


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コメント 2

私もゆうこりん(笑)

よく、時代によって美人や可愛いの定義は違うというけれど、大正時代に美人だという評判だった人って平成の現代でも可愛いんですね~。
ただ一つ絶対的に違うのは、今の美人の4人に一人は整形です。(S整形外科談)昔の美人って化粧っ気が無くても美人なんですね。昭和の美人も好きです。

よって昔の美人の勝ち~♪

by 私もゆうこりん(笑) (2010-06-07 22:15) 

mic

宣伝コメントがあまりにも多く、つい見落としてしまいました。返事が遅くなってしまいすみませんm(__)m

 え~、美人研究家として申し上げますと(笑、時代による差が全くないとはいいませんが、昔も今も周囲が美人と思う顔立ちは基本的に変わらないような気がします。石器時代までさかのぼれば別ですが。

 ただ昔の女性の方が美人率が高いというのは?かな。今の女性は化粧なしでも十分にキレイだと思いますよ~。整形率は分かりませんが。

 ここで取り上げた写真はあくまで当方が選りすぐったもので、末広ヒロ子さんが一等賞になったミスコン(ご存知なければ調べてみてください)でも美人といえるのは彼女ぐらい。逆に昔の美人は今以上に希少価値が高いといえるのでは。

 ちなみに美人研究家のクセに、個人的には特徴ある顔立ちの女性が好きだったりします。けして薦めるわけではありませんけど、整形も否定はしません。オジサンになったせいかな?

 美人ネタはまたやろうと企画を暖め中なのでまた来てやってくださいませ(^^♪


by mic (2010-10-27 02:24) 

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