南へ・その3 [旅の記録]
ゴールドコーストで快適に過ごしたいならレンタカーを借りるべし。今回はハーツで。車種はカローラでした。
左側通行なのでハワイ島以上に楽チン。ここは100キロ北にあるブリスベーンと違って支払いが面倒な高速がないので、ラウンドアバウト(ロータリー)のこつだけ飲み込んでおけばまず問題ないかと思います。
シドニー以上に暖かく、もはや夏。海で泳いでいる人もいました。ただ、夜はやはり少し寒いので、トレーナーぐらいはあった方がいいかも。
宿泊したコンドミニアム。オフシーズンのためか、こんなに広々としていても1万円ぐらいでした。
海がすぐそば!
この日は中心地のサーファーズパラダイスをざっと見るだけに留め、翌日コアラを見に行くことに。ちなみにサーファーズパラダイスでは、水曜と金曜だかにナイトマーケットが開かれていて、日本の夜店とはひと味違った雰囲気が楽しめるので要チェック。
コアラが見られる場所はいくつかありますが、訪れたのは空港近くにあるカランビン・ワイルドライフ・サンクチュアリ。
数々のアトラクションやアクティビティーがあるなか、誰もが楽しめるという意味では一番のおすすめです。詳細は省きますが、コアラ以外にも、
大きなトカゲが黄昏れていたり、
タスマニアデビルがウサギ目?状態で寝ていたり、
赤ちゃんワニと撮影できたり、
いたるところでカンガルーが寝そべっていたりします。
カランビン・ワイルドライフ・サンクチュアリの次は、内陸へ約1時間の場所にあるナチュラルブリッジへ。
とにかく景色が良くて、気候も穏やか。老後に海外移住するならココというくらい気に入りました。ハワイ以上かも。
ナチュラルブリッジは土ボタルで有名な場所です。駐車場から森の中に入り、10分ほど下って行くと洞窟が見えてきます。
これがその洞窟。この左手から中に入れるようになっていて、日が暮れると天井が点々と青く光り始めます。土ボタルはホタルではなくて、グローワームと呼ばれるヒカリキノコバエの幼虫なんだとか。
感想はというと、確かに神秘的ではあるけど…なんだかLEDみたい。プラネタリウムの方がいいかも。。。
もっとも、おすすめかそうじゃないかでいえば、間違いなくおすすめ。なぜなら往復100キロのドライブを楽しめるうえに、夜までいれば美しい星がみられるから。ちょうどこの時期は9時ごろに射手座や蠍座が天頂付近にあって、積乱雲のようなモコモコっとした天の川が真上に拝めます。
残念ながら、この日の空は完全には澄み切っておらず、市内の明かりも影響していたのか、若いころにヨセミテで見たほど多くの星は見えませんでしたが、春の星座である南十字座もまだ高い位置にあってはっきり見えました。
よく考えてみると、南半球は初めて。ふだんは感度の鈍い山の神も、南天の星空に感動してくれたようで何よりでした。
山の神は仕事があるのでこの日が最終日。当方だけ居残り、1日遅れで帰国することにしました。
南へ・その2 [旅の記録]
2日目もシドニーです。ホテルを出て、北へ向かいながら中心街を散策。
日本ほど清潔ではないものの、景観が整っていて、歩くのがすごく楽しい。8月で真冬のはずですが、歩き回ったこともあり長袖シャツ一枚でも十分でした。
シドニーは豪州で最も人種的に多様な街です。70年代にベトナム移民を受け入れて以降、白豪主義はなりを潜め、今や黒人の少ない米国といった雰囲気。中でもアジア移民が多く、それだけでこの国がアジアとの距離を縮めているのがうかがえます。
今も差別的な言葉を投げかけられたという話を耳にしますが、人種差別はどうなんでしょう。保守的な半面、米国という〝実験台〟を参考にしながら舵を切った経緯もあり、これでもうまく対処してきた方じゃないかと思うのですが。ヘイトスピーチの問題に直面し、これから移民の受け入れが進むであろう日本にとっても参考になりそうです。
日本人にとっては意外ですが、豪州にとって日本は〝ご近所様〟。実際、地図を見ると欧州や米国はあまりにも遠く、ニュージーランド以外で近い先進国となると、日本かシンガポールくらい。前の記事で触れたように、日本車人気も手伝って、彼らはこちらが思っている以上に親近感を抱いてくれているように感じます。鉄鉱石やボーキサイトの上得意ですし。日本にとっても自動車などの重要な輸出先だし、最近はニセコなどに来るオージーが増えてますしね。
豪州にとっては中国も重要なお客さんで、捕鯨の問題もあるので何ともいえませんが、方や資源の豊富な多民族・多文化主義国家、方や人口が多く技術力のある(ほぼ)単一民族国家。互いの立ち位置さえ理解し合えればいい補完関係が築けるのではないでしょうか。
このセントバーナード、ライオン並みに大きくてびっくり!こんなにデカけりゃエサ代もバカにならないだろうなあ。
シドニーでは、ほかにも「ミックジャガーに会いに行きたいからお金ちょうだい!」と書いたプラカードをぶら下げたお姉さんを見かけました。そういえば、この国で物乞いが流行しているって聞いた記憶が。平均収入は日本より上のはずなんだけどねえ。それにしてもおじさん、「これはチャリティーじゃない」って都合よくね?
サーキュラーキーを経由してオペラハウスへ。写真で何度も見ているので期待していませんでしたが、建設に長い年月をかけただけあって素晴らしい建物でした。
時間があったので、オペラハウスの東にあるロイヤル・ボタニック・ガーデンを散策して戻ることに。ところが、確かにきれいな公園ではあるけど、とにかくだだっ広くて、バスも通ってないので最後はヘトヘト。オペラハウスとハーバーブリッジを一枚の写真に納められるミセス・マッコーリーズ・ポイントだけ行けば十分かな。
翌日は朝早く起きてゴールドコーストへ移動です。
南へ・その1 [旅の記録]
ここ1、2年はテレビをまったく見ず、ネットも仕事以外はほぼ見ず、本も読まず、遠出もせず…すっかり世情に疎くなりました。かといってトピックがないわけではなく、精一杯生きていたので書き残すべきことはいっぱいあります。じゃなぜ書かないのかというと、ブログの存在をすっかり忘れていたから(笑。しかもまだ何か抜け落ちていると思ったら、前回そのことに触れるのすら忘れてたという(笑
しばらくはリハビリがてら過去の出来事を書いていこうかと。まずは豪州旅行の話です。13年8月!のことで、もはや豪州を選んだ理由すら憶えていませんが(笑、見切り発車して、書きながら思い出すことにします(どうなることやら)。ま、書いているうちにちょっとは思い出すでしょう。
今回は久々に山の神が同行するので、快適そうな国がよかろうと豪州を選択。あっ、さっそく選んだ理由を思い出した(笑
LCCを使ってみたかったので、往復にはジェットスターを利用しました。LCCが飛んでいる地域の中で行きたかったのが豪州ぐらいだったという事情もあります。そうだ、それも理由だったわ(笑
スケジュールの都合で期間は1週間に満たず、訪問先はゴールドコーストとシドニーのみ。それでも十分に楽しめました。
機材はA330だったっけ?787には及ばないものの、けっこう快適で、成田からゴールドコーストまで9時間弱のフライトにも十分耐えられました。現在は787に置き換えられつつあるみたいです。
機内食もなければないで何とかなりました。近くの人がカップラーメンを食べていて生ツバの処理に困りましたけど…。
まだ原油価格が高かったこともあり、航空券と燃油代、オプションの荷物代を合わせて往復9万円近くしたかな。もっと安い時期もあるけど、ケチらず妥協することにしました。ちなみに、豪州の国内線はJCBカードじゃ買えなかった(少なくとも当時は)のでご注意。
GC到着後、そのまま国内線に乗り換えてシドニーへ向かいます。
すごい景色!ちなみに成田→GC、GC→シドニーと乗り継ぐなら右側の座席を確保しましょう。たぶん左側だと海しか見られません。
セントラル駅近くの宿にチェックインして、まずは腹ごしらえ。有名な9ドルステーキです。味はまずまず。腹ペコだったせいかもしれません。
豪州といえば食べ物のまずさで有名。あまりにも短い旅だったので、実際そうなのかは分からずじまいでしたが、そもそも日本並みを期待するのは酷というものでしょう。
この9ドルステーキ、以前は6ドルステーキとして知られていました。近年の物価高はこの国に深刻な影響を与えているようです。日本人から見てもあらゆるモノが高くて、コンビニのコーラは375㍉㍑とはいえ270円、たばこは1600円ぐらいします。しかもたばこは2箱半しか持ち込めず…
マクドナルドのビッグマックは4・95ドルだったので約450円。日本は360円だったっけ。ビッグマック指数もだいぶ差がありそうですね。
地図の中央下にあるのがセントラル駅で、そこから北がシティと呼ばれる中心部。人口400万人とオセアニア最大の街ですが、中心部はわりとコンパクトなので、わずか2日間の滞在でもほぼ歩き回れました。
シドニーは豪州の割には鉄道路線が充実している街ですが、もちろん日本には及ぶべくもありません。かといって車で通勤している気配もあまりなく、通勤手段はいまだに謎です。
まず向かったのは、駅の北西にあるコックルベイ周辺のダーリングハーバー。80年代に再開発されたウォーターフロントで、ショッピングモールや水族館があります。水族館に入ったはずだけど、記憶がまったくない…。海遊館や葛西臨海水族館ほどじゃなかったんだろうな。入場料金はネットで買えば半額になったような気が…う~ん、やっぱりうろ覚えです。
絶好の景色に絶好の天気に絶好の風。デッキに座ってボーッとしているだけでも最高の気分でした。パノラマ写真にうってつけの場所ですが、残念ながらソニーのペタマップが終わってしまったのでクリックしても動かせません…。
地図で真ん中の上に見えているのがハーバーブリッジで、その付け根にあるのがロックスと呼ぶ豪州最初の入植地。古い町並みが残る一帯とはいえ、建物はせいぜい20世紀初頭のもので、観光地化されすぎていたこともあって、期待ほどではありませんでした。マーケットが開かれる週末に行くと良いようです。
ロックスから東へしばらく歩くとサーキュラーキーに到達。左手にハーバーブリッジ、右手にオペラハウスが見え、背後には構造ビルが建ち並ぶ場所です。ここもパノラマ写真にうってつけの絶景ポイントなのですが…やはり動かせないのが残念。もったいないので別の方法が可能か早急に探ってみます。。。
楽園へ・その4 [旅の記録]
夢のようなハワイ旅行もあっという間に最終日。やっぱり時の刻みは自分だけのものじゃないんですね。。。
今日もアラモへ。3日連続なので従業員のみなさんとはすっかり親しくなりました。
相棒はクライスラーのダッジ・ジャーニー。どうしても四駆がよかったのです。
見た目、乗り心地ともごく普通。燃費が比較的良い以外、特筆すべきことはありません。
前から乗りたかったこのクライスラー・ジープも同クラスですが、後述する理由で後部座席が狭いのは避けたかったため選択せず。一方、ジープにはロングボディがあるし、乗りたい四駆なら他にグランドチェロキーもあったけど、これもいろいろ考えてコンパクトSUVの運転しやすさを優先。でも結局は大きくても問題なく、中途半端になってしまいました。レンタカー選びでは反省点の多い旅だったなあ。
ちなみに車を3回借りたからといって、その分だけ全日空のボーナスマイルがつくわけではなく、あくまで1回のフライトに付随する計算です。
今日はナビを借りました。ガーミン製。11ドルぐらいだったかな。操作は簡単で日本語にも対応しています。が、道がシンプルなここでは意味がありませんでした。あくまで念のため借りたということで。
さて、足を用意したところで最大の目的を果たしに行くとします。目的地はマウナ・ケアです。
マウナ・ケアは高さ約4200メートルと富士山をはるかにしのぎ、海底からの高さに至っては1万メートルもある世界一高い山でありながら、ほぼ山頂まで車で登れる極めて珍しい存在です。山頂は空気が澄み、晴天率が高いなどの理由から天文台銀座となっていて、日本のすばる望遠鏡もあります。その山頂まで車で登ってみたい。
その前に今日もいったんホテルへ戻って仮眠。
宿泊先の「コナ・コースト・リゾート」はカイルア・コナの南の外れにあります。カイルア・コナは海沿いを「アリイ・ドライブ」という通りが南北に走っていて、ちょうどホテルの付近までが格好のドライブコースになっています。
小さい町ながら雰囲気あります。周辺にはショッピングモールもいくつかあるので不便はありません。深夜に戻ってばかりでレストランを使えなかったなか、ウォルマートが遅くに開いているのはとてもありがたかった。もっともせっかくの立派なキッチンをあまり使わず、ランチョンミートを乗せたフランスパンとかそんなのばっかりでしたが、それはそれでうまし。
iPodが使えない代わりに、車中は一人アカペラカラオケボックスへと変貌。選曲したのはここで百万回ぐらい歌われたであろう「南の島のハメハメハ大王」。「メトロポリタン美術館」のおまけつきです(笑
車を停め、海に降りてみました。
目的外でないがしろにしてきた海ですが、この眺めを前にちょっと後悔。やっぱ海はいいなあ~
ここでもパノラマ(↑↑をクリック)
さらにHDRアートで。
早朝で、これでもけっこうありふれた場所なのでほとんど人はいません。アグネス・ラムのような女性がいればもっといいんだけど(笑
ハワイ島には白砂の美しいビーチもたくさんあります。ただ、美しいビーチを求めるだけなら個人的には沖縄の慶良間諸島がおすすめ。経済的ですし。ハワイのすばらしさはあらゆる自然やアクティビティがあって、どれもが高いレベルにある点ではないでしょうか。ひと通り楽しむなら2週間はほしいところです。
しばし仮眠した後、予定通り寝坊して(笑、午後3時にようやく出発。
マウナ・ケアへのルートはご覧の通り。まずは東北に針路をとり190号線をひた走ります。
数十キロを走った後、途中で右に大きく折れ、「サドルロード」と呼ばれる200号線へ。
事前に調べたところでは、このサドルロードから先が難敵。アップダウンが激しい上にデコボコが多く、道幅が狭い箇所もあるようです。それに街灯がないので霧や雨で見えないことも多く、夜はかなり危険そう。前日にヒロからコナへ向かう途中で立ち寄ったガソリンスタンドのおばさんも、この道で帰るのは危険だからやめた方がいいと言っていました。
そのうえレンタカーの保険は適用されないみたい。ハーパーという会社だけは適用されるようですが、全額補償ではありません。このためたいていのガイドブックは山頂にはツアーで行くよう推奨しています。ざっとネットを調べた限りでも自分で登った方はあまり見当たりませんでした。
でもそこはツアー嫌いとしても簡単には譲れません。難しいか実地で確かめてみようというわけです。
そのサドルロード。
いざ走ってみると、拍子抜けするほど問題ありませんでした。。。
サドルロードはここ2、3年でかなり整備され、未舗装区間はほぼゼロ。コナから向かう場合、確かに最初のうちはこんな感じに道が小刻みにうねっていて、対向車とすれ違いにくい箇所も数カ所ありますが、よほど飛ばさない限り事故ることはないはず。
むしろ牧場の牛や馬が草を食むそばを通ったりしてすごく楽しい。後半部分に至っては、まるで完成したての高速道路みたいで楽チンでした。街灯がない点も、中央線に沿って反射板が短い間隔で取り付けられているので大丈夫。
ただし、こんな風に標高が変わっていきなり濃霧に包まれたり、激しい雨に見舞われる可能性は大いにあるので用心するに越したことはありません。くれぐれも安全運転を。
サドルロードを左に折れ、登っていくにつれて雲が降りてきました。出発から約1時間半。標高2800メートルの場所にあるオニヅカ・ビジター・センターに到着です。ここから30分ほど登れば山頂に着きます。
その前に1時間ほど休憩。高山病にならないよう体をならします。
ビジター・センターには黒点を観測できるセレストロンが置かれ、みやげ物もかなり充実しています。おみやげの中にはフリースやブランケットもあるので、日本から防寒用の服を持参するのが面倒ならここで買うのも手かと。
さてトイレをすませ、いよいよ山頂目指して出発。ここからは未舗装路です。
つづら折りの道は聞いていた通りでこぼこで滑りやすく、谷側の傾斜はかなり急です。道幅はわりかし広いとはいえ、対向車とすれ違うたびに手が緊張で汗ばんできます。ただ平常心を保ち、景色に見とれたり、無理に写真を撮ろうとしなければ問題ないはず。
むしろ要注意なのは帰りです。下りはスピードが出やすい上、ようやく終わったと思った瞬間、いきなりビジター・センターが視界に飛び込んでくるので、運転を誤れば大事故になりかねません。ギヤはローに入れ、つねにブレーキを踏みながら慎重に降りましょう。なるべくならツアーの車につき従った方がいいです。
おそらく左が正式な山頂。人が写っているように、ここから歩いて行けるようです。右奥の山はマウナ・ロア。これも大きい山です。
気になる寒さは、上はTシャツとトレーナー、フリースにネックウォーマー、下はスウェットと股引で何とかなりました。日本から持参した携帯カイロも大いに役立ちました。ネックウォーマーはあいかわらずどっちが前か分かりません。。。
もちろんダウンジャケットを着込むなど、本格的な防寒対策を施した方がいいのはいうまでもありません。ツアーの参加費は150ドル以上する一方、防寒着が支給され、お弁当も出るので、無理に自力で行く必要はないと思います。
一人で来るにしても、長時間見たいならせめてダウンジャケットは持参した方がいいです。当方もモンクレールを同伴したかったのに、所有者の自分以上に着ている山の神に汚れるからと拒否されてしまいました。。。
寒さよりきつかったのは高山病。アレルギー持ちで普段から頭痛と格闘しているので心配ないと思っていたら、脳が腫れたような感覚になり、足下もふらつきがち。酸素が欠乏して息もかなり切れやすい。けっこう危うかったかもしれません。個人差があるので何とも言えませんが、これも一人で行くことをおすすめしない理由です。
すばる望遠鏡は事前にネット上で予約すれば見学できますが、唯一空いていた時間が午後1時からと早く、その時間から夕方までいると高山病になりそうだったので断念。もうちょっと遅い時間は案内してないのかな?
日が暮れて暗くなってきました。空のグラデーションが色鮮やか。やっぱ山はいいなあ(笑
この日は晴れてはいたものの、少しかすんでいて、月も煌煌と輝いていたので星は思ったほど見えません。月の入りは午前3時台と遅く、早々にあきらめようかと思いました。でもせっかく来たし、明日は帰国なので粘りたい。そこで月が沈むまでしばらく車中で仮眠することにしました。後部座席の広さを重視したのはこうした事態を見越してのことだったのです。頭イイ~。
もっとも、寒さをしのぐ方法は何も考えてきませんでしたが(笑
エンジンをかけるわけはいかず、毛布もないので寒くてなかなか寝つけない。寝てもすぐに起きてしまう。よく考えればホテルから毛布を持参すれば良かったんだよな。頭ワリィ~。ここも十分標高が高いので、起きるたびに偏頭痛がします。
ビジター・センターが開いているのは10時まで。この時間を過ぎると人が急にいなくなり、辺りは真っ暗になります。そんな中を午前4時近くまで過ごしましたよ。ホテルよりは怖くなかったりして(笑
結論を言うと、これだけ待った甲斐なく、月が沈んでからも星の数は増えませんでした。それでも日本では鹿児島以南でしか見られないエリダヌス座のアケルナルや、前にこのブログでも取り上げたりゅうこつ座のカノ―プスが再び見られただけでも大満足。もしかしたらそれより南にあるマゼラン雲まで見えていたかも。
それに、最大の目的も無事果たすことができました。
なかなか寝つけず、寒さに震えるなか、おみやげとともにビジター・センターで買ったのは、カップラーメン。この施設には建物の外にカップ麺を食べたり、コーヒーを飲むためのお湯が出る蛇口が備え付けられていて、無料で使えるようになっています。いきなり注いだせいか、ちょっとぬるかったけど、このカップラーメンがどんなにうまかったことか!
キラウエアを見学したり、マウナ・ケアの山頂に登ったり、満天の星を眺めたりすること以上の目的が、ここで星を眺めながらカップヌードルを食べることだったりしたのです。
味オンチだし、グルメでもありません。でも最高に贅沢な晩餐を楽しむ方法は知っているつもりです。
楽園へ・その3 [旅の記録]
この日も早朝に起床。向かった先は、
再びレンタカー屋さん。
ようやく運転に慣れてきたところだけど、シボレー・マリブとはここでお別れ。ハワイ島に滞在する3日間をより有意義なものにしようと、それぞれ違うクルマを借りることにしたのです。
そして今日のパートナーは…
エンブレム。
テール。ふっ。
マスタングきたよ~
ハワイのレンタカー代、おそらく日本より高いです。でもこのクラスについてはかなりお得。というより、日本でマスタングを借りられるレンタカー屋なんてほとんどないし、この機会を逃さぬ手はない♪
要注意なのは必ず乗れるとは限らないことです。当方の場合、クライスラーのもっさりしたオープンカーしかなくて困りきっていたところ、かろうじて砂まみれの一台を使えることになりました。
本当はマスタングよりカマロを借りたかったんだ。でも残念なことに扱っていないとの返事。エイビスなどにはあったので、車種にこだわるならよくよく調べてから予約した方がいいです。
そのマスタングの印象。
「内装がプラスチッキーで質感低すぎ。それに革シートは劣化しやすそう」
「ソアラほどじゃないけど、重くてスポーツカーらしさは全然ないなあ。パワーも期待していたほどじゃない」
「日本だと横幅の広さに苦労するかな」
「高級スポーツカーなのにミラーが手動って…」
と、けっこうネガティブな部分が目につきました。一方で良かった点としては、
「長距離乗っても全然疲れないのは意外」
「メーター周りのイルミネーションは賑やかでいいね。ガラ悪いけど」
といったところ。
メーター周り、夜になるとこんな感じになります。
ね、言った通りでしょ(笑
でもね、欠点は多くとも、乗っていてすごく楽しいです。無味無臭で毒にも薬にもならないようなクルマが氾濫している昨今、こういうアクの強さって貴重じゃないっすか。マーケティング一本槍で、自らリスクをとって市場を生み出そうという気迫がまるで感じられない今の保守的な日本メーカーに作れるのだろうか?何かいつも言ってるなあ。
いったんホテルで仮眠をとった後、予定通り寝坊して(笑、午後すぎに起床。今日は西海岸を北に辿った前日とは逆に南へ。
しばらく景色はイマイチですが…
1時間ばかり走り、サウスポイントと呼ぶ南端の岬近くを過ぎ、東へ進路を転じたあたりで風景が一変。南国とは思えない、アイルランドのアラン諸島を思い出させる殺伐とした風景が広がります。
路肩に駐車して、
パシャリ。
逆方向も。南国的な景色だけでなく、こういうちょっと寂しいのも大好きです。
自分をここに導いてくれた何事かに感謝せざるをえません。
さらに進みます。20キロぐらいでしょうか。標識に従って道を海側に折れると、こんな砂浜に辿り着きます。
プナルウ黒砂海岸という名のこの砂浜、砕けた溶岩でできている以外、特に珍しくないかと思えば…
いました!ウミガメが甲羅干しにやってくることで有名なのです。
この日はもう一人いました。気持ちよさげに瞑想していて、こちらには見向きもせず。
折しも、「カメブーム」が我が家を席巻中だったので、見られただけで大感激。あ、けしてヒッキー熱がさめたわけじゃないです(笑
ちなみに触るのはもちろん、4メートル以内に近づいてもダメ。ウミガメはオアフ島でもノースショアあたりで見られますし、ハワイ島でもここ以上に遭遇率の高いビーチがあるようなので調べてみてください。
ずっと見ていたかったのですが、時間がないのでここも早めに切り上げて先を急ぎます。
ハワイ島の天気は予測するのが世界で最も難しいと言われるほど、場所や時間によって違います。幸いこのあたりでは雲がなくなり絶好の天気に。
白い煙、分かるかな?
今日の目的地はボルケーノ。そう、キラウエア火山です。
コナから2時間あまり。150キロぐらいでしょうか。ようやくハレマウマウ火口に到着。
この噴火口、クレーター・リム・ドライブという名の道が周りを取り囲んでいて、本来なら一周できます。ただ、当方が訪れた時点ではどうも行き止まりになっているようでした。
反時計回りで進み、行き止まりの手前にある「トーマス・ジャガー博物館」という施設のそばにある展望台へ。さて。
こいつぁすげえや!となぜか目明し調に(笑。キラウエアの火山活動はひところより落ち着いてしているとはいえ、今でもかなり活動的なのがこの風景からも分かります。
陽が沈み、暗くなると赤い色が浮き立ち始め、迫力も断然、違ってきます。訪れるなら夕方がベストでしょう。
当然、ここでもパノラマ出動。↑↑をクリックしてみてください。
ここの標高は1200メートル以上。風が強い上に遮蔽物が一切なく、しかも日没前後ということで強烈な寒さでした。日本から持ち込んだフリースやネックウォーマーとともに、アラモアナで買ったトレーナーが大活躍してくれました。
本当はクレーター・リム・ドライブから延びているチェーン・オブ・クレーターズ・ロードを通って海岸まで出て、煮えたぎった溶岩が海に流れ込む様子も見学したかった。
それにキラウエア周辺にはより活発に活動しているプウ・オオ火口など、車では近づきにくいポイントもあります。できればヘリをチャーターしたいところ。残念ながら全部の見学は都合で断念。都合というのは寝坊のことです。。。あ~自分のバカ。
キラウエアを見てよほど興奮したのか、よせばいいのにヒロ経由で帰ることに。ところがあれほど天気が良かったのに、やがてぽつぽつと雨が降り出し、ヒロを過ぎたあたりでバケツをひっくり返したような土砂降りに。しかもそれが数時間、間断なく続き、ゲリラ豪雨という言葉すら大したことなく聞こえるレベル。真っ暗なのに、フロントガラスやサイドミラーが汚れていて視界はほぼゼロ。さらに前後を地元の車に挟まれなかなかエスケープできないわで、まったく生きた心地がしませんでしたよ。
でも帰り着いたホテルの部屋の方がもっと怖かったりして(笑
楽園へ・その2 [旅の記録]
翌日は早めに起きてホノルル空港へ。ハワイ島へ向かいます。
オアフ島とハワイ島のヒロ、もしくはコナを結ぶ路線は、ハワイアン航空のほか、LCCのゴー・モクレレ航空も運航しています。ここは無難にハワイアン航空を選択。値段は時間によります(昼ほど高め)。今回は往復1万2000円程度でした。
以前は日本航空がハワイ島行きの直行便を運航していましたが、2年前になくなってしまいました。
滞在場所は迷った挙句、コナに決定。ヒロはハワイ島で最も大きな町で、観光地へのアクセスでコナより勝る半面、リゾートらしさではコナに軍配が上がります。あとヒロはやたらと雨が降ります。逆に観光地化されていない方がいいならヒロを選ぶべし。
ハワイアン航空のチケットはネットで予約でき、座席指定も可能です(日本語にも対応)。行きは左の窓側、帰りはその逆を選択しましょう。位置は主翼が邪魔にならない15列目ぐらいまで。
なぜかというと、オアフ、モロカイ、ラナイ、マウイ…と、島々をかすめるようにして飛ぶ絶景路線だからです。
離陸すると、まずはホノルルの街並みが眼下に広がります。
いったんワイキキに近づき…
やがてダイアモンドヘッドが目の前に。これだけでもすごい眺め!
ダイアモンドヘッド、最近まで噴火口だと知らなかったりして。今回ヘリで上空から眺めようとして、時間の都合で泣く泣く断念したのですが、飛行機からの景色だけでも十分堪能できました。
コナへのフライトは40分あまり。あっという間にハワイ島が見えてきました。まさに手つかずの自然という言葉がぴったり。全体的に黒っぽく、大地が溶岩で埋め尽くされているのが分かります。こりゃ圧巻だわ。
空港はこじんまりとしていていかにも南国風。出てすぐのところに待ち構えていたレンタカーの無料送迎バスに乗り込みます。ハワイ島は大きい上、公共交通機関がなきに等しいので効率よく観光するならレンタカーは必須です。
利用したのはアラモ。安さでダラーを選ぶ方が多いようですが、ちょうど全日空のボーナスマイルが3倍になるキャンペーンを実施中だったのでこちらを選択しました。値段もそう変わらなかったような気がします。
日本で予約していったこともあり、手続きは至極簡単。当方の粉々に砕けた英語でも楽勝でした。
借りる際には停めてある同じクラスの車から任意に選ぶ仕組み。が、どれも似たり寄ったりで気に入った車種は見当たらず。半分しようがなく選んだのがこのシボレーマリブでした。もともとコンパクトカータイプを予約していったところ、空きがなく無料でアップグレードしてくれたとのこと。
でも、本当いうとこのシボレーアヴェオに乗りたかった。どこかで見たようなヘッドライト周りですが、全体的にバランスよくまとまっていてちょっと気になっていたんです。
チェックインまで間があるので、ホテルのあるカイルア・コナの町とは逆方向の北へ車を走らせます。
ハワイ島は岐阜県とほぼ同じ大きさ。ビッグアイランドと呼ばれているだけあってかなり大きいです。といっても人口は100万人近いオアフに対し、15万人ぐらいしかいません。従って道路も島の周囲を幹線道路が一周しているくらいでいたってシンプル。ナビなしでもそんなに不便は感じませんでした。左ハンドルや左折優先といった日本との違いをあらかじめ頭に叩き込んでおけば大丈夫でしょう。
制限速度は最高で55マイル(90キロ弱)。道幅が広く感覚が狂いがちなので飛ばしすぎないよう気をつけます。
空港のあたりはコナを除けば海岸沿いにリゾートが点在している以外何もなく、ひたすら南北に一本道が続きます。オーシャンブルーの青々とした海が美しい。そしてやっぱり風が気持ちいい。
シボレーマリブの乗り味はいまいちで、ずんぐりむっくりしているせいか視界もよくないです。それとも今の車ってこれが普通なのかな?パワーは十分でした。
うれしかったのはカーオーディオの前面にAUXのジャックを備えていたこと(年式によるかもしれません)。iPodとケーブルを持参してきたので、好きな音楽を聴きながらのドライブは最高でした。
サラ・ヴォーン「ラヴァーズ・コンツェルト」
ナナ・ムスクーリ「愛の歓び」
ベリンダ・カーライル「リーヴ・ア・ライト・オン」
この景色には女性ヴォーカルの曲がふさわしいようです。「ラヴァーズ…」は子供のころ父がよくステレオで聞いていた曲。数年前にドラマの挿入歌として採用されたみたいですね。
忘れてました。地元のFMを聴いていたら美しいファルセットが。おそらくハワイの歌姫として有名なレナ・マチャドでしょう。ハワイ音楽を楽しむなら、彼女と「IZ」ことイズラエル・カマカヴィヴォレは外せません。
1時間あまり走っていると、なぜか道を間違えたようで行き止まりに。そこで休憩がてら海辺を散策。
ここでもパノラマ撮影してみました。↑↑の画像をクリックしてみてください。わずかな地元の家族連れ以外に誰もいない、名も知れぬ浜辺。なのにこの景色って!
とにかく静かで波と風の音しかしません。
すがすがしい気分で再び車を操り、30分ほどで目的地のポロル渓谷に到着。
今度は切り立った崖が壮観。波の力ってすごいねえ。
ところが、せっかく感動していたところで見事に興をそいでくれたのが、近くにいた日本人カップルのヒソヒソ話。どうやら「あの人一人で来たんだね~」などとやり取りしている様子。ヒソヒソ話や陰口って、日本人の最も悪い癖だと思います。別にいいじゃん、一人で来たって。
前にも書いたけど、そんなにハワイの一人旅って珍しいのかな?
そう思いながら来た道を戻り、予約しておいた「コナ・コースト・リゾート」に到着してみると、フロントのお姉さんも「えっ、一人?」と少し驚いた様子。やっぱり珍しいみたいです。。。
だからといってヒソヒソ話が許されるわけじゃないぞコノヤロー!
このリゾート、2階建てのコンドミニアム形式になっています。まずは30畳ぐらいの居間があって…
キッチンはオーブンや調理器具、冷蔵庫など何でもアリ。
2階のベッドルーム。
ベッドルームその2。
ベッドルームその3。
あの~、
一人しかいないんですけど?
宿代は1万円しなかったはずだよねえ。
ていうか、
寂しすぎるやんけ。
ていうか、
怖いやんけ。
フロントのお姉さんは一人と聞いて驚くだけでなく、当惑してもいたのです。ただでさえ広いのに、少人数に適した部屋が埋まっていたらしく、結局は逆に大人数向けの部屋をあてがわれたのでした。
ともあれ、これから帰国まで3日間はここに滞在。おばけでないかな?
楽園へ・その1 [旅の記録]
ここ数年は出張を除けば飛行場にマイカー以外で行ったことがほとんどありません。身体的負担が少ないのもあるけど、業者に預かってもらえばけっこう安くつくし、仕事が忙しく相対的に時間の価値が高まったのも一因です。でも今回は行きが羽田なのに対し、帰りは成田しかなかったので久々にリムジンバスを利用。便利な羽田から向かえるだけでもありがたく、この程度は我慢です。
「ダンナ、くれぐれも勘違いしちゃいけねえ。あっしは2人で行くときのための偵察で行くんでサ」
身を粉にして働いてきたのでさすがに休ませてやりたいと思ったのか、山の神はいたって寛容だったのに、なぜか目明し口調?で言い訳めいたことを口にして墓穴を掘る人がいました(笑
出発が夜中ということで、国際線ターミナルはさぞかし閑散としているかと思えば予想外の混雑ぶり。台湾行きの際には気がつきませんでしたが、かなり国際色豊かです。ここを拠点に便を増やしているエアアジアの存在が大きいのでしょうか。出発まで間があったのに、行き交う人々の様子を見ているだけでおもしろく、自分の中でお決まりとなっている「空港カレー」を食べられませんでした。やべ~、無性にカレーが食いたくなってきたよ。
余談ですが、当方はJCBのANAワイドカードを使っています。このカード、チェックイン時に列に並ばなくてもいいのでかなり楽。でも良い点はそのぐらい。LCCの台頭でマイレージ制度の魅力が薄れる中、あえて持つ必要はないかなあなんて思っていたりします。8000円も年会費を払っているのだから、ラウンジぐらいタダで使わせてほしい。
すしずめの機内なので機内食はすし(え、ではなくて穴子丼。放浪時代は見向きもせず、今もマイルの存在がなければまず使わないであろう日系エアラインですが、機内食やサービスは確かにグレート。カレーを食べられなかった恨みであっという間に平らげてしまいました。
ちなみに、貧乏旅行が染みついているというより、食にほとんど興味がないため、せっかく旅行に行っても機内食が一番まともだったりして。。。
行きは7時間ぐらい。帰りより1時間くらい短いとはいえ、今回はエコノミーということもあって体力的にギリギリでした。消耗してるなあ。しかもこごえそうなくらい寒い。こんなんで最後までもつのかな。
何とか耐え切ると有名な景色が見えてみました。ホノルル空港には現地時間で前日の12時50分に到着。これから4日間の楽しい滞在が待ち構えています。
ハワイについては歴史を除いて極力、知識を蓄えないようにしてきました。到着したこの段階でもごく大雑把な知識しか持ち合わせておりません。
でもって第一印象はというと…空港が古臭い。。。出口も端っこでさして賑わってないし。
だいだい、「アロハ・オエ」とか「カイマナ・ヒラ」とか「ブルー・ハワイ」がかかってないぢゃないか!あと「やんなっちゃった節」もってそれは無茶か。
子供のころ、地元宮崎のフェニックス自然動物園にある「流れるプール」へ行くのが楽しみで、そこでは決まってこうしたハワイ音楽がBGMで流されていました。今にして思えば、それがハワイに対する憧憬の原点かもしれません。結局、今回はちょっとフラを目にしただけでした。
そういえば山の神は到着するとレイを首にかけてくれるって言ってたけど、ガセ?帰国して調べてみると、レイのサービスはツアー客用とのこと。空港のサービスじゃないんですね。一人ぶら下げていても違和感アリアリなだけですけど。
そうそう、一人といえばハワイにしたことを知った同僚の反応が面白かった。みな一様に「???」という感じだったのです。
そこにはいくつかの意味が込められていて、ひとつは「肌が弱いのに常夏の島で泳いでいいの?行くだけでも苦労しそうなのに」という心配。さらに「何カ国も放浪してきたのに何で今さら超メジャーなハワイなの?」という素朴な疑問。そして最後が、「しかも一人って…寂しぐね?」(気をつかっているのか、はたまた鼻で笑っているのか。なぜか口調がなまっていたりして)
ハワイってそんなに一人じゃ行かないもんなのかね?それに今回はビーチが目的じゃないんですよ。従って水着は持参せず。ダイビングもしません。
疲れを考慮して、ワイキキのホテルまではタクシーを利用。30ドルぐらいだったかな?けっこうしますね。シャトルバスもあるにはあるのですが、何にも調べてこなかったのでどこで乗ればいいのか良く分からず、面倒でもあったので使いませんでした。「ザ・バス」と呼ばれるローカルバスは荷物が大きいと乗車を拒否られるみたい。
このホテル、エクスペディアでまだ空いていた中で一番安かったホテル。これ以下のレベルとなるとユースホテルぐらいしかなさそうでした。もともと寝られさえすればOKなタイプなので、もっとリーズナブルなところがよかった。
ただ、目の前がバス停なのはポイント高いです。さっそくやってきた名物のトロリーに乗り込みます。
約10分後に到着したのは有名なアラモアナショッピングセンター。
ハワイ観光の定番ですが、今や日本にもこういう施設は無数にあってありがたみは薄れがち。オアフにはプレミアム・アウトレットなどもありますし。でも円高で日本よりは安そう。何より旅気分が物欲をかき立てます。といいながら買ったのはハワイにふさわしからぬ厚手のトレーナーのみ。とはいえこのトレーナー、狙い通り後に大活躍してくれます。
買い物らしい買い物をしなかったアラモアナですが、街で買い物する機会がめっきり減っていただけに、雰囲気だけでも大いに楽しめました。何よりココイチのカレーが食えて大満足です(笑
帰りもピンクトロリーを利用。行列ができるほどの混雑でしたが、ラッキーなことに行きと同様、後ろの右端に陣取ることができました。小さなお子さんがいらっしゃる方は屋根のないここには座れないのでご注意。
ピンクトロリーはワイキキビーチのそばも通る便利な循環路線。せっかくなのでホテルに直帰せず、いったんビーチのそばで降りることに。
「おお~これが音にきくワイキキの浜け~」
ビーチ自体はずば抜けて美しいわけじゃなく、しかも実はほぼ人工ビーチだったりするそうですが、浜辺でリラックスする人びとを含め、やはり絵になります。ビーチに沿いの通りに立ち並ぶブランドショップが華やかな雰囲気を醸し出しています。何も買いませんけど(笑
せっかくなので台湾以来のパノラマモード出動。今回はスクロールできるようにしてみました。↑↑の画像をクリックしてみてください。
こんな絵がボタンひとつで撮れて、スクロール表示させられる時代になるとは。
いや~、 額縁に入れて飾っておきたいとはまさにこのことですな。
沈む夕陽にまったり。海っていいねえ~。ホノルルは実質この日だけなのが残念。名残惜しみつつホテルに戻ります。
宿泊先のゲートウェイホテル、8000円程度だけに設備もそれなり。インターネットはトラブルで使えず(しかも聞いていたのと違い有料)、それ以上にシャワーのお湯が出ないことにはがっくり。フロントに電話してきてもらった太った黒人のお兄さんがノブの微妙な操作でお湯を出したときは思わず拍手してしまいましたけど。フロントは親切でした。
ハワイがホテルの開業ラッシュを迎えたのは日本人旅行者が急増した80年代で、どうやら「熱海化」が進んでいるようです。空港の古さも同じ理由なのでしょう。アメリカの街ってけしてきれいじゃないですしね。予算を使いすぎている日本よりはましでしょう。
部屋は日本から考えれば十分な広さでまずまず清潔。ベッドが3つあっても使いきれないけど。。。
今回はウズベキスタン旅行の際に買ったドイターのバックパックをお伴に選びました。スーツケースは社交ダンスの大会に使う山の神に持ち去られてしまいました。重宝したとはいえ、浮いていたのは否めません。。。
11階の部屋から。海側でなくてもなかなかの景色でした。エクスペディアの口コミにあった、ほぼ夜通し続く工事の音もさして気になりませんでした、といいたいところだけど、やっぱりうるさくて眠れなかった。必然的に翌朝のフライトはギリギリで飛び乗ることに…いやはや、あぶないところでした。
楽園へ・プロローグ [旅の記録]
夏本番ですな(え
ようやく待ちに待った夏休みがとれましたよ。。。
今年は早くから9月まで休めないことが確定し、覚悟はしていたとはいえ、待ち遠しいったらありゃしない。
わが社も世間の風潮に追いつこうと努力し始めたのか、海外に行く場合は土日を合わせて9日間、ぶち抜きで休んでよいとのありがたきお言葉。そこで計画だけは早いうちから練っておくことに。さァ、海外逃亡するぞ~
ひとまずいつ不測の事態が起き、休みがつぶれるとも限らないので、たまった全日空のマイルを使って9月最終週の枠が空いていた成田→マニラ、マニラ→ジャカルタ、ジャカルタ→成田の各便を押さえておくことに。合計43000マイル。いざ行けなくなっても3000マイルを支払えばキャンセルできます。
ただ興味は大いにあるのですが、いかんせん疲労困憊しているのでどうにも気が乗らない。
そこで浮上したのが、海外はやめにして、9月初旬に北海道へ行く案でした。もともと北海道は興味がないどころか、「切り札」にとっておいた土地だし、アジアなら行かないと言っていた山の神も乗り気。なかなか折り合わない2人のスケジュールも9月初旬ならどうにかなりそうです。
でもマイルで行って現地でレンタカーを借りれば安く済むのですが、できれば北海道はソアラで旅したい。ところがソアラだと高速代やフェリー代がバカにならん。時間的にも1周して帰ってくるにはやや足りない。高速1000円、復活してくれないかな。
そうこうしているうちに、直前になって9月初旬に休めないことがあっさり決定。一人で行かざるを得なくなってしまいました。
えっ、落ち込んでいるようには見えない?いやいや、誤解ですってば(マヂデ
一人で行っても二人で行っても何人で行っても楽しい。それが旅です。いや、ほんとに。
さて、北海道をソアラで一人はもったいないのでボツ。インドネシアとフィリピンも前述の理由で避けたい。
欲を言えば、未訪問の土地で心身をリフレッシュできる場所がいい。でも欧州や米国本土はあらかた訪れてしまっている上、マイレージ枠の空きはほぼ皆無。マイルが使えて手軽に行ける初の国といえばカンボジアもあるけど、ハードさはインドネシアやフィリピンと変わらない。近場なのでまだとっておきたいし。う~ん。
ここでふとあることに気がつきました。「何もマイルにこだわる必要ないのでは?」
例のLCCとやらです。
ざっと調べてみると、エアアジアとジェットスターなら希望の便がありそうです。特にジェットスターのゴールドコースト便は片道23000円~とかなりお得。エアアジアもフィリピン便は片道何と9800円~!で、しかも羽田発。これなら東南アジアはわざわざ国内線でも使えるマイルに固執せずともLCCで行った方がいいわ。
おまけにエアアジアはサーチャージが料金に含まれ、ジェットスターも全日空よりはかなり安い。サーチャージなんてどこもシンガポールケロシンが基準なはずなのに、どうしてこうも差がつくのか。ともかく、9月初旬になってようやく豪州行きが決定しました。
と言いたいところですが、ここで3つのカベが。
ひとつはキャンセル料。ジェットスターはいったん予約してしまうとキャンセルがききません。こいつはいつ休めなくなるとも限らない当方にとってはかなり怖い。それに航空運賃は確かに安いけれども、豪州は土地代が跳ね上がっているためか、ホテル代がやたらに高く、マイルを使わないことを考え合わせるとけして負担は小さくない。
そして豪州には山の神も行ったことがありません。つまり2人して初の感動を共有できる貴重な国なのです。ま、結局は当方の優柔不断さが一番大きなカベなんですが。「やっぱいっそのこと行くの自体やめるか~」。なかば投げやりになりつつふと全日空のHPをあらためて見ていると、
「あっ、一席だけ空いてる~!」(*悲鳴状態です)
まだ行ったことがなくて骨休めにうってつけの土地。それどころか北海道とともにとっておいた楽園に、まさかマイルで行けるとは。直前になってキャンセルする人がいるんですね。盲点でしたよ。
うん、ここしかない!
そうだ、ハワイへ行こう!
文明の十字路へ・その4 [旅の記録]
ブハラ~ヒヴァはおよそ450キロ。タシュケント~サマルカンド、サマルカンド~ブハラよりはるかに長距離で、しかも道路が格段に悪いので、かなりハードな移動になると予想されます。7、8時間はかかるでしょう。
この日も車をチャーターしました。ホテルに頼んだので前日と同じような車を期待していたのですが、乗せられたのはソ連製のオンボロ車。もっとも、それは仕方がないことだとすぐ悟ることになります。。。
ブハラからヒヴァまではキジル・クム(赤い砂漠)という、この国の西半分を占める大砂漠を突っ切ります。ブハラ市内を抜け出るとだんだん景色が殺伐としてきて、道路から伝わってくる振動が大きくなります。
舗装区間はほとんどなく、大半が地面をならした程度。たとえ舗装されていてもなかなか通ってくれません。不思議に思っていたら至るところに穴。なるほど。
フロントガラスにヒビが。これはこの時についたものではありませんが、ヒヴァから空港のあるウルゲンチに向かう別の道中では飛び石がガラスに当たり「バチッ」。そこには涙目をした運ちゃんがいました。。。
こんな景色が延々と続きます。区間によってはまるでシケインを走るような状態。あちこちで工事していたので遠からず整備されるのでしょうが、ほぼ最後まで揺られっぱなしでした。おまけに運ちゃんがエアコンをつけたがらない。故障を気にしてのことかもしれません。おかげで汗だくでした。そうは言いながらも、疲れが蓄積していたのでけっこう眠りましたけど。
あと少しでヒヴァというところで大きな川を渡ります。これが有名なアム・ダリア。欧州ではオクサス川と呼ばれてきた川です。南東のパミール高原やヒンドゥークシュ山脈に端を発し、北西のアラル海に注ぐ長さ2400キロの雄大な川です。
アム・ダリアは「活発な川」の意。アラル海に注ぐ川にはこれより東、タシュケントの近くを流れるシル・ダリヤもあり、こちらは「静かな川」という意味です。ヨーロッパではこの2本の川に挟まれた地域をトランスオクシアナ(オクサス川の向こう)と呼んできました。
この川は過去に何度も流れを変えていて、カスピ海に注いでいた時期もあります。これから向かうヒヴァは、流路が変わったことから17世紀に入って繁栄を始めました。
アム・ダリアも近年は水が減り、そのせいでアラル海はどんどん水がなくなっています。今では注ぐ前に水が枯れてしまっているとか。これはソ連時代に綿花栽培が奨励され、不完全な運河が作られたためで、ウズベキスタンは世界第二位の綿花生産量を誇る一方、深刻な環境問題を抱えてしまっています。
長い移動に何とか耐え切り、夕方に到着しました。
本来ならタシュケント空港からそのままウルゲンチに飛んでヒヴァを訪れ、さらにブハラ→サマルカンド→タシュケントと回る方が、タシュケントの滞在時間を減らせるのでベター。あえて逆周りにしたのは、この町をクライマックスにした方がいいと考えたからでした。その考えは正解だったと思います。
ヒヴァはサマルカンドやブハラよりはるかに小さい一方、イチャン・カラ(内城)と呼ばれる地区はそっくりそのまま世界遺産になっていて、昔の雰囲気をどこよりも深く味わえます。
これが玄関口にあたる西門。小さい町ながらも堂々たるつくりです。ホテルは中にあり、入場券を買って入ります。
泊まったのは「マリカ・ヘイヴァック」。サマルカンドのホテルと同じくマリカ・ホテルグループが運営する宿です。西門近くにもマリカ・ホテルはあり、こちらはメドレセ風の立派な建物。当方が泊まった方はコテージ風ともいえる小さい建物で、豪華とはいえないものの、清潔で満足できるものでした。せっかく来たならイチャン・カラの中で宿泊した方がより浸れるはずです。
難点は水が塩分を含んでいてきれいじゃないこと。これはイチャン・カラの外を含め、どのホテルもそうでしょう。ネットは一応できるけれども、つながりが悪く遅いので、できるのはせいぜいメールチェック程度。タシュケントのウズベキスタン・ホテルすら満足にネットが使えないので、これも致し方ありません。
ホテルで荷を解いた後、さっそくうろつきます。
これが西門を入ってすぐのメーンストリート。カルタミナル(短い塔)と呼ばれるミナレットの美しさには息を呑むばかり。
イチャン・カラ内部は徹底して景観が統一されているので、どこに目をやっても絵になります。ここまで見事に統一感を保った観光地は欧州以外にはあまりないのではないでしょうか。
観光地だけあって撮影も行われていました。ビデオクリップか何かかな?結婚式を挙げたばかりのカップルもよく見かけます。
地元のアイドル、ラクダのカーチャです。誰も乗ってくれなくてヒマそうでした。ラクダはインド北西部から西がヒトコブ、中国北西部などの東がフタコブ。確かフタコブの学名のシノニム(異名)はウズベキスタンの一部を含んでいたバクトリア王国から来ていたはずですが、彼女はヒトコブでした。後ろに写っているように猫も多く、性格はカーチャ同様におだやか。
イチャン・カラの外を歩いていたときにサッカーをしていた少年。なかなかの男前です。ネットでこの写真を見つけたらぜひ連絡してくださいね!
ロシアとヒヴァの関係は、ピョートル大帝時代にさかのぼります。ペルシャからの圧迫を受けていたヒヴァのハンがロシアに応援を要請したのがきっかけでした。ピョートル大帝はしばらく経ってから使節を送りましたが、政治情勢が変わっていたため使節のほとんどが殺されてしまいました。しかしこの時は報復できる状況ではなく、その後も何度か遠征の計画が立てられましたが、ヒヴァは砂漠に囲まれている上、付近にはトルクメン人の盗賊が跋扈しており、たどり着くことすら困難な時代が続きます。
ヒヴァのハンはブハラ・ハン国のアミールに負けず劣らず残虐な人物が多く、奴隷の数でははるかにしのぐほどでした。奴隷にはペルシャ人だけでなくロシア人が相当いて、当然ながらロシアはそれを問題視していました。一方、それを懸念したのが英国でした。19世紀に入ってロシアの圧迫が強まると、シェークスピア中尉がこの地を訪れ、ハンを説得してロシア人奴隷を解放させ、侵略の口実を取り除くのに成功します。しかしそれも一時しのぎにしかならず、結局は侵略を止めることができませんでした。
1873年には初代トルキスタン総督のカウフマン将軍が攻撃を仕掛け、ヒヴァは属国の地位に転落します。その5年前にブハラ・ハン国、3年後にはコーカンド・ハン国が占領され、中央アジアは文字通りロシアの支配下に置かれます。ブハラ・ハン国とヒヴァ・ハン国はロシア革命まで存続しますが、それは名目上のことで、中央アジアの中世はこの時代を持って終了したといえます。
ヒヴァは昼間も十分すぎるほど美しい町ですが、圧巻だったのは夜でした。表へ出てみると…
もう言葉は要りませんね。ここにきて本当に良かった。
アトピーの症状が悪化し、足が血だらけになる中での旅でしたが、それが気にならないほど楽しめました。
あまり触れませんでしたが、ウズベキスタンは文明の十字路に位置するだけあって、人々の顔立ちや暮らしはさまざま。人種が混ざり合う土地ならではの、エキゾチックな顔立ちをした美しい女性がたくさんいます。それに男性も含めて性格はわりとおだやかで、イスラム教国の一部にみられるすれた感じはありませんでした。
今回は駆け足で東のフェルガナ盆地に行けませんでしたし、ぜひまた来たいと思います。そして次は現地の人々と深く交流できるような旅にしたいですね。
文明の十字路へ・その3 [旅の記録]
「壮麗の焦点、王国の神殿、当時の最もユニークな治世の会合所、世界の文学の地平、当代最高の学者たちの市であった」(アブドゥル・マリク・ターリビ、サーマン朝治下)
「この地上のあらゆる地域において、これほど繁栄し、すばらしい土地はない。もしコヘンディス(古代の城砦)の上に立つ人がいたなら、そして周囲に一瞥を投げたとしたら、この国のあらゆるところに美しい緑と鬱蒼とした新緑を除いては、何ひとつ目に入らないであろう」(10世紀の旅行家、イブン・ハウカル)
慌しい旅は続きます。3日目は220キロ西にあるブハラへ。少なくとも紀元前4、5世紀から存在し、サマルカンドとともにソグディアナの中心都市として栄えたところです。イスラム文化の流入後もサーマン朝の都として興隆を支え、その後はモンゴル軍による破壊でいったん荒廃したものの、16世紀にウズベク人のシャイバーン朝が首都に定め、サマルカンドをしのぐほどの復興を遂げることになります。
8世紀に中国の唐で安史の乱を起こした安禄山の名字はブハラを指します。彼はソグド人と突厥人の混血で、安は母の再婚相手の姓になります。同様に鑑真とともに来日した渡来僧で、唐招提寺の2代目住職を務めた安如宝の苗字もブハラを意味します。ブハラ生まれかは不明ですが、奈良時代にそんな遠くから来た人がいたとは驚きです。
時間の制約を考え、ブハラまではホテルにお願いしてタクシーをチャーターすることに。値段は忘れてしまいました。2人ということと、乗り合いを探す手間を考えるとベターな選択だったと思います。割高といっても日本の物価からすればかなりリーズナブルですし、こんなとこで無理する必要はないかと。車は新しく快適で、道路の舗装状態も良かったのですぐに寝てしまい、気がつけば到着していました。
ブハラのホテルは「ブハラ・パレス」。ここもタシュケントのウズベキスタン・ホテル同様に大きなホテルですが、古臭くて埃っぽい上、ロビーには蚊が飛び交っていて、快適とはほど遠いものでした。
ブハラの人口は25万人ぐらい。ホテルが中心からやや離れていたせいか、サマルカンドより大きく感じました。まずはタクシーでアルク城へ。
アルク城は昔も今もブハラのシンボル。高さ10メートルはあろうかという巨大な城壁を持つ堂々たるシタデル(城塞)です。何度も破壊されては再建され、現在の城は18世紀のものとされています。ただし木造建築物は1920年の赤軍による爆撃で破壊され、残っているのは石造りの部分のみ。
入口でお金を払い、階段を上っていると牢屋が。説明にはここで19世紀に英国人の2人が囚われていたと書いてあります。ピンときました。おそらくチャールズ・ストッダート大佐とアーサー・コノリー大尉でしょう。
1838年、ロシアの南下を防ぐためにアフガニスタンを押さえる必要性を痛感した英国は、第一次アフガン戦争を始めます。テヘラン駐在の政治将校だったストッダートはこの際、出兵の諒解を求めるために隣国のブハラ・ハン国へ派遣されますが、英国を警戒するアミールのナスルラーによって逮捕されてしまいます。
一方、もう一人のコノリーは、かつてペテルブルクからインドに至る大冒険旅行をやったことのある、いわばグレート・ゲームのベテラン。彼は3ハン国を英国の主導の下に連合させることがロシアによる侵略の盾になると考えていました。そしてヒヴァ・ハン国、コーカンド・ハン国のアミールと会い、ブハラ・ハン国との連合を説くものの、敵対する3ハン国を和解させるのに失敗。そのままストッダートを救出するためブハラ・ハン国へ向かい、彼もまた自分を転覆させようとしていると疑ったナスルラーに捕われてしまいました。それが1841年11月。
残念ながら運命の女神は彼らに微笑むことはありませんでした。やがて最悪のニュースが届いたのです。それはアフガニスタンにおける英軍壊滅のニュースでした。英国に攻められる恐れがなくなったことで、2人の運命は決してしまいました。
牢屋から引き出された2人は、両手を縛られたまま王宮前広場(入口近くか)に連れて行かれ、群集の見守る中で自分たちの墓穴を掘らされました。跪かされたストッダートは大声でアミールをののしり、先に首をはねられました。さらに首斬り人がコノリーに「アミールはお前がイスラムに改宗するなら命を助けてやろうと仰せだ」と言うと、コノリーは「そんなまやかしは結構だ。もう死ぬ覚悟はできている」と語り、自ら首を差し出しました。1842年6月のとある朝の事です。
コノリーの死には痛ましい後日談があります。彼が死んで20年が経ったある日、ロンドンに住んでいた妹の元に郵便局から小包が届きました。中身はボロボロになった聖書で、コノリーとストッダートが幽閉中に呼んでいたものでした。流転の末にべテルブルクのロシア人が入手し、親切にも送ってくれたのです。聖書の余白や巻末の白紙には小さな文字で彼らの悲運の詳細が書き込まれ、文章は突然、中断されていたといいます。
英国とロシアという19世紀の2大帝国が繰り広げたグレート・ゲームは、冷戦に勝るとも劣らない壮大なスケールの勢力争いでした。そして最前線にいた人間の多くは彼らのように非業の死を遂げています。
一方、3ハン国を含め2大帝国の間に挟まれた小国はあたかもチェスの駒のごとく扱われ、多くは近代化の波に飲み込まれ、やがては消え去っていくことになります。
アルク城に戻ります。城の上にはアミールの玉座や家畜小屋、モスクなどさまざまな建物があり、博物館も併設されています。ただ荒廃が目立ち、大部分はガレキと化しています。扉で閉ざされて行けなくなっているガレキのスペースは、近くのおじさんに金を払えば足を踏み入れることができます。わざわざ金払ってガレキを見たってねえ…と怪訝に思いつつ外へ出てみることに。
やっぱり何もなし、と思いきや…
反対側の城壁近くまでテクテク歩いて行くと、旧市街が一望の下に!こりゃすごいわ。
ブハラの歴史的建造物は1997年のブハラ建設2500年を機に大半が修復されています。一方でそれによって建物の特色が失われたとする意見もあるようです。私も同感。荒れるにまかせたアルク城の方が、幾度も外敵にさらされてきたという現実感が迫ってきてより深く印象に残るのでは。
アルク城を出た後は旧市街を散歩。ブハラは新市街を含めると広い町ですが、旧市街は1時間もあれば歩き通せます。
ここはポイ・カラーン広場。巨大で壮麗なカラーン・モスクと2つのメドレセに囲まれた旧市街の中心です。アルク城と並ぶブハラのシンボルであるカラーン・ミナレットもここにあります。
1127年にカラ・ハン朝のハーンが建設したこのミナレット、信者にお祈りを呼びかけることのほか、外敵を見張る役目も果たしていました。処刑にも使われていて、袋に詰めた罪人をてっぺんから投げ落としていたとか。このため「死の塔」という、ありがたくない別名も。
ストッダートとコノリーのケースに限らず、ブハラ・ハン国のアミールはとにかく残虐。グレート・ゲームは英国の立場から語られることが多いこともあり、3ハン国を力づくで征服したロシアがとかく敵視されがちですが、ひょっとしたら侵略されて良かったのかなとふと思ったりもします。
幸いというか、工事中で上に登れませんでした。眺めは素晴らしいようですが…
やがてラビハウズという人口の小さな池にたどり着きます。周辺にはメドレセなどの古い建築物に加えて、チャイハナや商店、ホテルも集まっているので便利。暑い中だったのでここで飲んだ瓶コーラは格別にうまかった。
池の周囲にはみやげ物を売るお姉さんや子供たちがいて、この国にしてはしつこく声をかけてくるのでちょっと面倒です。でもお姉さんのうちの一人がすごい美人で、思わず山の神そっちのけで見とれてしまいました。みやげ物は何も買いませんでしたけど。
ウズベキスタンは日本に比べてはるかに貧しい国。不謹慎のそしりはまぬかれないかもしれませんが、美人のお嫁さんが欲しい人は今すぐ荷支度した方がいいかも(笑
最後にホテルからの朝焼けです。興奮状態が続いていたためか熟睡できず、タバコを吸おうとバルコニーに出た際に見たのがこの景色です。撮影技術がなく、美しさを再現できなかったのが残念。空の色が青から紫、赤へと変わっていくさまはこの世のものとは思えないほど感動的でした。
ガイドブックを読む限りではサマルカンドや次に行くヒヴァほど魅力的ではなさそうだったブハラも、いざ来てみれば大満足。実際、ブハラが最も良かったという方も多いようです。