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強運の星 [歴史]

 相変わらずどこにも出かけていない。それではちょっとシャクなので、1000年前の星空を眺めてきた。もちろん、脳内でのことだが…。

  1054年、といっても大半の人はピンとこないだろう。実はこの年、天文学的にとても重要な出来事があった。

 その模様を平安末期の歌人、藤原定家の日記「明月記」から拝借したい。ちなみに定家はこの年から100年以上、下った時代の人である。

 …後冷泉院の天喜二年四月中旬以後、丑の時に客星が觜と参の度に出づ。東方にあらわれ、天関星に孛(はい)す。大きさ歳星の如し…

 この一文は、オリオン座(正確には隣のおうし座)の方向に突如、明るい星が出現した事を記録したものだ。4月中旬というのは旧暦で、今の暦では5月下旬になる。丑の時は夜中の午前1~3時、觜と参はともにオリオン座、天関星はおうし座のゼータ星、歳星は木星を指す。

 客星というのは、いつもは見えないものの、一時的に明るさが増し、肉眼で見える星のことで、超新星や彗星がそれに該当する。「明月記」の記述は超新星を示している。この年におうし座でとある星が大爆発を起こし、極めて明るく輝いたのである。その残骸は現在、かに星雲として知られている。

ブログ・かに星雲.jpg
                                                                   

 定家は木星(-2等程度)ぐらいの大きさ(明るさ)としているが、実際の明るさは-6等ぐらいで、最大で-4・6等の金星をもしのいだようだ。この明るさなら昼間でもよく見えただろう。金星も見るのは可能だが、かなり困難。白昼堂々と見えるのは月や大彗星ぐらいしかなく、非常に稀な出来事といえる。

 ちなみに「明月記」でいう5月下旬だと、おうし座は太陽に近すぎて夜中には見えないので、書き間違いか何かで、実際はもう少し後の出来事と推測される。中国の史書「続資治通鑑」では7月4日の出来事とされている。

 超新星爆発は銀河系内で起こらない限り、遠すぎて肉眼ではっきり見える明るさにはならないのが普通だ。過去に記録された例は少なく、銀河系内で起こったと裏づけが取れているのはわずか7例にすぎない。

1=SN 185 185年 ケンタウルス座 -8等 *最古の観測記録
2=SN 393 393年 さそり座 -1等 
3=SN 1006 1006年 おおかみ座 -9等 *太陽と月を除き最も明るく見えた天体
4=SN 1054 1054年 おうし座 -6等 *かに星雲
5=SN 1181 1181年 カシオペア座 0等
6=SN 1572 1572年 カシオペア座 銀河系 -4等 *チコの星
7=SN 1604 1604年 へびつかい座 銀河系 -2・5等 *ケプラーの星 

 超新星爆発は星が一生を終える際に引き起こすもので、すべての星がそうなるわけではなく、太陽程度の大きさなら爆発することなく収縮して白色矮星になると言われる。銀河系内で起こったとしても、銀河の中心を挟んだ太陽系の反対側で起こったり、星雲に遮られる場合があり、いつも地球から見られるとは限らない。銀河系内では数十年に1度の割合で起こると見積られている。その正確さはともかく、生きているうちに見られれば相当にラッキーなのは間違いない。

 「天文考古学」と呼ばれる学問をご存知だろうか。これは過去に記録された天体現象を現代の天文学的知識で検証するものだ。あるいはストーン・ヘンジやピラミッドといった古代遺跡の謎を解明する際にも登場する。古天文学ともいうらしい。

 例えば、惑星や月といった地球から近い天体や、ハレー彗星のように地球に回帰する周期がはっきりしている天体は、過去に遡って位置や運行状態を把握できる。それを過去の資料や文献と照合すれば、その記述が正しいかどうかが分かるし、記事が簡潔すぎる場合に補える。月や星は歴史解明の有力な手がかりになるのだ。

 逆に、過去の記録が天文学の発展に寄与する場合もある。

 超新星爆発の研究が大きく前進したのは20世紀前半のことだった。スウェーデンのルンドマルクは古代中国の史書「文献通考」を調べて客星に関する記事を丹念に拾い、その付近にある現在の天体と比較したリストを1921年に作成した。次いで1928年、ハップル望遠鏡で有名なアメリカのエドウィン・ハッブルは、かに星雲の膨張を逆算すると、900年前にはひとつの点になり、ルンドマルクのリストにある1054年の客星がかに星雲と一致することを示した。6年後の1934年には日本のアマチュア天文家、射場保昭が「明月記」の記述をアメリカの天文雑誌「ポピュラー・アストロノミー」で紹介し、欧米で注目を集めている。過去の記録が超新星の研究に貢献したのである。

 藤原定家は相当に筆まめで、好奇心旺盛な人物だったようだ。そのおかげで天文学が発展したのだから、彼に感謝しなければならないだろう。

 さて、これで終わりでは何とも芸がないので、少しだけ、あることを調べてみた。さきほどの年表を再度、取り上げてみたい。

1=SN 185 185年 ケンタウルス座 -8等 *最古の観測記録
2=SN 393 393年 さそり座 -1等 
3=SN 1006 1006年 おおかみ座 -9等 *太陽と月を除き最も明るく見えた天体 ■藤原道長(966~1028)
4=SN 1054 1054年 おうし座 -6等 *かに星雲  ■藤原頼通(992~1074)
5=SN 1181 1181年 カシオペア座 ■源頼朝(1147~1192)、ジョン王(1167~1216)
6=SN 1572 1572年 カシオペア座 銀河系 -4等 *チコの星 ■織田信長(1534~1582)、豊臣秀吉(1537~1598)、徳川家康(1543~1616)、エリザベス一世(1533~1603)、フェリペ2世(1527~1598)、ガリレオ・ガリレイ(1564~1642)、三浦按針(1564~1620)、ティコ・ブラーエ(1546~1601)、ヌルハチ(1559~1626)
7=SN 1604 1604年 へびつかい座 銀河系 -2・5等 *ケプラーの星 ■徳川家康、三浦按針、ガリレオ・ガリレイ、ヨハネス・ケプラー(1571~1630)、ヌルハチ、ホンタイジ(1592~1643)

 今度は爆発があった年に生きていた歴史上の人物を■以下につけてみた。こうしてみると、日本の政治を支配した有名な人物が多いのに気づく。1と2は大和朝廷が誕生する前か、誕生したての出来事なので、実質5回と考えればかなりの確率だ。1006年から1604年の間で彼らに並ぶ人物といえるのは平清盛と足利尊氏くらいだろうか。清盛は惜しくも1181年の爆発直前に死んでいる。
 
 特筆すべきは徳川家康である。彼は1572年と1604年の2回、超新星爆発に立ち会っている。しかもどちらの爆発時も幼すぎず、高齢すぎない年齢だ。彼が実際に見たという記録はないようだが、見られる立場にあっただけでも何か特別な星の下に生まれたのではと感じてしまう。

 ご覧の通り、銀河系内での超新星爆発は1604年以降、長いこと記録されていない。確率的にはそろそろ起きてもいいころだ。はたして次回は彼らに匹敵する人物が存在しているのだろうか。


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