SSブログ

たまには車を乗り捨てて [お気に入り]


 ある日曜の夕方、ふと川が見たくなり、仕事帰りに車を近くに停めて多摩川を見てきました。

 自宅からそう遠くないのに、川沿いを歩いたのは初めて。急な土手を登ると、遊歩道は愛犬を散歩させる人や、ジョギングする人でけっこうな混雑ぶりでした。

ブログ・多摩川2.JPG
         

 遊歩道から一歩川に近づくと、人の姿が急に見えなくなり、静かでのんびりした風景が広がります。美しい川といえば、高知の四万十川とか、京都の鴨川とか、山形の最上川あたりを思い浮かべますが、両脇をコンクリートで固められ、無味乾燥なイメージのある多摩川も、意外と風情があっていいものです。

 川の、いろんな表情があるところに魅かれます。ミネラルウォーターのCMに出てきそうな上流の景色には確かに癒されますし、なみなみと水をたたえた淀川や信濃川の河口付近には包容力を感じます。

 水が枯れ、とうてい海までたどり着けなさそうな川も、はかなさがあって好きです。

 ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし…
 
 有名な「方丈記」の冒頭です。読みやすくて、しらべが整っていて、何度読んでもあきません。この随筆は、晩年落剥し、小さな庵へ移り住んだ鴨長明が、川の流れを人生になぞらえ、天変地異の多かった時代と自らの人生を重ね合わせつつ、人生論を述べた作品、といえばいいでしょうか。文章全体が無常観の思想に包まれています。

 「方丈記」は、隠者文学の先駆的作品とみなされており、無常観という思想には、どこか現実逃避を思わせる、後ろ向きなイメージがあります。でも実際はそうではなく、世の中のあらゆるものは常に変化しており、その事実をありのままに受け止めるべき、というのが基本的な考え方です。少なくとも苦しい現実から目をそむけ、逃れることをすすめたものではありません。悟りの境地で現実を受け止めることは、「諦観」といいます。ここでいう悟りの境地は、融通無碍と同じ意味としてとらえていいかと思います。

 長明が生まれたのは保元の乱が起こった1156年ころとされています。「方丈記」が書かれたとみられているのは鎌倉時代初期の1212年ごろ。彼が生きたのは、権力が貴族から武士へと移った激動の時代でした。浄土宗の開祖である法然や、それを受け継ぎ浄土真宗を開いた親鸞が活躍した時代とも重なっています。真宗はその後、「念仏を唱えれば誰もが極楽浄土へいける」という、分かりやすい教えによって、時代の混乱に惑い、苦しむ民衆の心をとらえ、教勢を拡大しました。おそらくこうした時代を経たため、言葉の意味が変質したのでしょう。

 ただ、現実世界を生きることにある種のはかなさを感じる点は、「方丈記」や「平家物語」の時代から変わっていないように思います。これは、日本人だけが持つ心の動きといっていいのかもしれません。

 ところで、川を題名に使った芸術作品には、「道頓堀川」など、宮本輝さんの「川」3部作があります。やはり「方丈記」に負けない魅力があって、ぜひ読んでいただきたい小説です。

 すでに読まれた方はご存知でしょうが、宮本さんの小説を読み解く上で重要なキーワードとなっているのが、先ほど述べた「諦観」です。宮本作品の真骨頂は、厳しい現実を前に、もがきながらも必死に生きようとする人々を、気負いやてらいのない、平明な文章で描き出している点にあると思います。筆者自身がパニック症候群に苦しんだ経験を持つこともあり、他の作家の作品にはないはかなさがあって、凄みすら感じます。得がたい作家さんだと思います。

 作品にはかなさを感じる点では、シンガーソングライターの鈴木祥子さんもあてはまるかもしれません。

Long Long Way Home

Long Long Way Home

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: エピックレコードジャパン
  • 発売日: 1990/11/21
  • メディア: CD
  •                  

 鈴木さんは世間的にはあまり知られていませんが、一番好きな日本人アーティスト。もう何作もCDをリリースしていますが、ひとつとして「はずれ」と思ったことはありません。声といい、曲といい、すごく完成度が高く、歌謡曲っぽいメロディアスな曲であっても、どこかにはかなさが潜んでいるように感じます。

 息をひそめて 燃えはじめる空に
 かすかな月が落ちてゆく
 もうどのくらい時間が過ぎただろう 
 どうしてここにいるのだろう
 
 耳の奥に今あの歌が聞こえてくる
 I Walk Away Down By The River
 知らない街へ旅立とう 
 なにもかも この手に抱えて
 知らない場所へ歩き出そう

 アルバム「Long Long Way Home」に収録されている「Down By The River」の一節です。全体的に乾いた印象ながらも、諦観に通じる生への思いが込められていて、はかなさを素直に表現している名曲です。

 大学進学のため上京してから、20代後半で就職するまで、小金を貯めては日本各地や海外を旅する生活が続きました。当時は青春の蹉跌とでもいうのか、ひたすら現実から逃れたいと思っていた時期で、旅というより放浪、あるいは漂流に近いものでした。時間だけはたっぷりあったので、目的地を決めず、ただ流れるように、ずいぶんいろんな場所を訪れました。苦しい時期でもありました。

 そんな旅で、持参した鈴木さんの曲と宮本さんの小説がどれだけ救いになったことか。よく「青春18きっぷ」で鈍行列車に乗り、何時間も揺られては、曲を聴き、小説を読みました。おかげで何日かすると逆に日常生活が恋しくなり、家路に着くことができました。                                                         

ブログ・多摩川1.JPG
                

 新卒採用の年齢をオーバーしていたにもかかわらず、今の会社に拾ってもらい、10年が経とうとしています。情けないというか、まだまだ若いのか、青春の蹉跌はいまだに続いています。宮本さんや鈴木さんの作品は、今も心の支えとなってくれています。

 特別な目的もなく、自然の中をブラブラと歩いたのは久しぶりでした。たまには歩くのもいいものです。せっかくいい川の景色にめぐり合えたのだから、iPodとボロボロになった文庫本をつれて来るべきでした。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。