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夏休み企画第2弾・その7 [旅の記録]

            
 もう10月中旬なのに、なかなか日本に帰ってこられません(笑

 というか、実のところ楽しすぎて帰りたくなかったんです(山の神よ、あいすまぬ)。いっそのことこのまま会社を辞め、中国国内をぐるぐるまわり続けようかと思ったほど(山の神よ、ホントにすまぬ)。おかげで天罰が下り、帰国してからだいぶ経つのに、いまだ夢うつつで頭がぼんやりしたままです。ま、風邪ともいいますけど(笑

 中国には思い入れが深いんです。

 初めて海外を旅したのは15年前、1993年3月のことでした。その行き先が、当時はまだ共産主義の面影を色濃く残していた中国。しかも行き帰りは飛行機ではなく、船でした。飛行機代がバカ高くて、神戸と天津、上海を結んでいた燕京号、鑑真号という船を利用したんです。バックパッカー御用達ですね。

 中国には別段、興味があったわけではなく、親友から海外に行くと知らされ、彼となら安心だろうということで、コバンザメのようにくっついて行ったんです。ビザの意味すらよく分かっておらず、パスポート以外は準備らしい準備もせず、文字通りの飛び入り参加でした。そういえばビザはどうやってとったんだろ…。

 この旅ではまず北京へ行き、石窟のある大同を往復した後、夜行列車で極寒の長春へ。さらに列車で瀋陽へと移動し、飛行機で上海に向かいました。2週間ぐらいだったでしょうか。強烈なインパクトを残した旅でした。

 天津の港に着いたときからして驚きの連続でした。見たことのない黄茶けた大地、読めそうで読めない簡体字の看板、顔は似ているのに、オーバーアクションで声の大きい人々。見るもの聞くものすべてが新鮮でした。

 天津から北京までは、港で誘われるままに乗ったマイクロバスで、おそらく相場以上のお金を支払っての移動(つまりボラれたということです)。そういえば、中国人の添乗員?が、北京でも放映されて人気だった「東京ラブストーリー」の話をしていました。添乗員はなぜか4人も5人もいて、みんなこ汚いセーター姿(笑、しかも1人は写真で見た父親の若いころにソックリ!複雑な心境になったのをおぼえています。

 この旅で一番厄介だったのがトイレでした。よく言われていたように、以前は本当に扉がなかったんですね。早朝の長春駅のトイレに入ろうとしたら、10個ぐらいずつ便座が向かい合っていて、座っていたみなさんがいっせいにこっちをジロリ。即座に退散したのは言うまでもありません(笑。設備が整っていて、入り口に管理人のおじいさんが座っていた高級ホテルのトイレがどれだけありがたかったことか。

 あとマクドナルド。ちょうど北京の繁華街、王府井(ワンフーチン)に中国の1号店ができたばかりで、トイレでも食事でもよく助けられました。「マックってこんなにおいしかったのか…」なんて感動しながら。

ブログ・五輪2.JPG
(瀋陽北駅のマック。24時間営業なのはいいんですが、隣の吉野家の方がうまくて重宝しました。気のせいか日本よりおいしいような…)
                   

 共産主義については、平等を重んじるなど、理念としては理解できる部分もあります。一部の特権階級が国を支配し、多くの人々が虐げられていた帝政ロシアや、辛亥革命後の混乱が続く中国で勢力を拡大した理由も分かる気がします。

 でも結局のところ、人間にはお金を儲けたいとか、おいしいものを食べたいとか、他人に勝ちたいといった欲がある点を理解していなかったように思います。資本主義はそこをうまくコントロールしているから浸透したのでしょう。

 欲を無理に抑えれば、人も社会も非人間的になるわけで。最初の旅ではモノを買ったりする際、相手の横柄な態度に閉口しました。列車の切符を買うのに何時間も待たされ、売店でチョコレートを買えば投げてよこす。サービスという概念がないどころか、「オマエのために仕事してやっている」という考えなんですね。無表情で、まったく非人間的な態度でした。

 旅行作家の下川裕治さんが書いたある本に、1980年ごろのすごいエピソードが載っています。カナダ人女性が列車の中でカメラを盗まれたとき、盗んだ人間はすぐに見つかったんですが、何と途中駅のホームですぐさま射殺されたとか。処刑を目の前で見せられたカナダ人女性は気が狂わんばかりだったといいます。この話ひとつを聞くだけでも、共産主義国家というのは滅びて当然だと思います。

 それから考えると、なかば資本主義国化した今の中国は、ずいぶん良くなったと思います。次に訪れたのは初めての旅から6年後、2000年のことでした。改革開放が進み、久しぶりの上海は高層ビルだらけ。北京の王府井は再開発され、93年当時の面影が全くありませんでした。すでにテレビで映像を見ていたとはいえ、心底びっくりしました。人々の表情も明るく、店員の態度もかなりマシになっていました。今回の旅では、それがさらに良くなった印象を受けました。 

ブログ・五輪3.JPG

 (瀋陽に今年オープンした伊勢丹。さすが日系だけあって立派でしたが、値段も立派。日本では当たり前のサービスや接客態度がここでは浮いているような…)

 もともと中国人は親切だと思いますが、職業人としての中国人も優しく対応してくれ、日本の過剰なサービスより心地よかったほど。ファストフード店の接客態度は相変わらずダメでしたが。

 あと、列にきちんと並ばないのも相変わらず。これは民度の低さというより、生存競争の熾烈なお国柄のためだと、好意的に解釈しています。そのぶん、簡単にはなおらないかもしれません。

 現在の中国については、一党独裁だとか、東高西低の経済だとか、人権だとか、貧富の差だとか、いろいろと問題が指摘されています。それぞれごもっとも。ただ、ここ15年の目覚しい変化を見てきた人間としては、国全体が良くなろうという気持ちを持っている限り、多少のつまづきはあっても、困難を乗り越えられると見ていますし、そう願っています。もちろん、過熱する経済などには注意が必要ですが。

 今回は幸いなことに、北京五輪という一大イベントの期間中に行くことができました。

ブログ・五輪4.JPG 

(五輪中継に見入る人々は少なめ。特にカップルは自分たちの世界に入っていて、あまり興味なさそうでした)

 私が見た限りでは、大連も瀋陽も意外なほど落ち着いていて、五輪を意識させたのは看板やモニュメントぐらい。お祭りさわぎのムードはありませんでした。中国のスポーツ選手で最も知名度のある卓球の張怡寧選手が金メダルをとった日も、街頭のテレビ前に陣取る人は予想したほどいませんでした。テレビでは自国選手の活躍が連日のように報じられていましたが、それは日本も同じ。

ブログ・五輪1.JPG

            (大連市内のモニュメント。きれいでした) 

 一方、新疆ウイグル自治区で爆破テロがあったのに、警官の姿はほとんど見かけませんでした。街に出ることを自粛させられていたとか、表面上では分からない理由があったのかもしれません。が、ナショナリズムや社会不安の高まりは日本で報道されていたほど心配ないように感じました。

 ナショナリズムといえば、私は反日暴動があった4年前にも北京を訪れています。このときも、騒がれたほど反日的な雰囲気は感じませんでした。わずかにホテルでタクシーの窓に「日本人お断り」の張り紙があったのを見つけ、思い切って運転手に写真を撮らせてくれと頼むと、笑顔でOKしてくれました。国のサイズが大きいことや、経済発展を続けていること、国中を揺るがした文化大革命の苦い記憶が残っていることなどを総合すると、愛国意識は高まっても、対外関係を悪化させるようなことまでは彼らは欲していないように思います。あるいはこれから問題が起こるのでしょうか…。

 いつもは五輪の閉会式なんて全く興味がないのに、今回は最後まで見入ってしまいました。テロは残念でしたが、何とか無事に終わってよかったと思います。ホテルの窓から市内を眺めると、サッカーの予選が行われたにもかかわらず、瀋陽の街は何事もないかのように静かでした。

 世界史的にもまれな、急激な変化を目撃できた者として、またお隣さんとして、この国が平和で魅力に富んだ国であり続けることを願ってやみません。


タグ:北京五輪
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名古屋特殊鋼

 もっと歴史を大局的に見ないと。今の中国を「中国」と呼んでいること事態が洗脳されている証拠。
主権国家概念(地域概念)でいうと中華人民共和国(支那)となり中国はどこにも出てこない。台湾だったら
中華民国(台湾)とどこにも出てこない。どこに「中国」があるのだろうかと考えると、日本の中国地方になる。竹島で領土問題となっている島根県があるところ。このカッコつきの(中国)(韓国→これだって南朝鮮)
両者がこの中国地方を文化的、物理的に攻撃すれば日本を骨抜きに出来ると見ているような仮説が浮かび上がる。そして中国はどこに書かれてあるかというと、「葦原中国」つまり出雲をさしていることに気が付き。なんで近畿と九州をつなぐところを中国地方というのかがはじめて分かった。
 とにかく言語によって支那=中華北京と南朝鮮=韓国に洗脳され続けているのが戦後日本だと気付かないと
いけないし、メディアは戦後洗脳後の用語しか使わない。洗脳されていない米国語で考えると分かりやすい。
依然として、中国はChina(支那)で、韓国はSouth Korea(南朝鮮)なのだから。
by 名古屋特殊鋼 (2015-09-29 23:17) 

mic

ちょっと文意を掴みかねますが、要は中国を支那、韓国を南朝鮮と呼ぶべき、ということでしょうか。

だとしたら、政府に訴えたり、マスコミ各社に投書したりなさった方がいいと思いますよ。少なくとも、こんな雑記帳ブログに書かれてもほとんど効果はないと思います。

歴史を大局的に見られる方のご意見ならきっと容れられるはずです。
by mic (2015-10-29 22:06) 

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