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墓参 [歴史]

 真夏らしい、刺すような日差しのなか、仕事の合間を利用して青山墓地へ行き、墓参りをしてきました。

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 青山墓地は都心の一等地にあります。といっても緑が豊かで、木の下にいると、うだるような暑さもいくぶん和らいだように感じます。ヒートアイランドの影響が少ないせいもあるのでしょう。

 墓参りに来たのは先祖のためではなく、ここに眠っている外国人たちを弔うためです。青山墓地には大久保利通をはじめ数々の有名人が眠っていますが、外人墓地があることはあまり知られていません。外人墓地といえば横浜が有名ですが、こちらはいつでも、タダで見ることができます。しかもそれぞれの墓がユニークで、歴史好きにとって興味深い人物の墓が少なくありません。

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          (ジョゼフ・ヒコの墓。花を手向けたのは歴史ファンでしょうか)

 有名どころの筆頭は、おそらくジョゼフ・ヒコ(浜田彦蔵)でしょう。播磨(兵庫県)の漁師だったヒコは、13才のときに乗っていた船が紀州沖で難破し、米国商船に助けられます。翌年ペリーの船に同乗して帰国するため香港まで戻りますが、政治に利用されるのを嫌い、米国へUターン。結局、日本が開国した翌年の1859年に米国人通訳として帰国しました。9年ぶりのことでした。あまり知られていませんが、坂本龍馬の開明的な思想に少なからぬ影響を与えたといわれています。

 龍馬に影響を与えた漂流者には、ほかにもジョン万次郎がいます。残念ながら、ヒコは万次郎ほど有名ではありません。リンカーンと会見したり、日本語では初の新聞を発行したり、明治後には大阪造幣局創設に尽くしたりと、興味のつきない人物で、もっと知られていてもいいように思います。ちなみに日本人で最初に写真の被写体になったのが彼です。

 彼をのぞけば、外人墓地に眠っているのは日本以外で生まれた人たちばかり。帰国を願いながら果たせなかった人や、悲運に見舞われた人もけっこういます。

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            (スクリパ博士は家族とともに眠っています)

 カール・スクリパもその一人。東大帝大医学部の名誉教授で、「ベルツの日記」で知られるベルツ博士の同僚でした。しかも同じドイツ人。ベルツ博士と同時期に来日し、日露戦争の最中の1905年に57歳で亡くなりました。ベルツ博士はその直後に妻のハナを連れて帰国しています。おそらく彼も近い将来の帰国を願っていたことでしょう。ベルツ博士は日記の中で彼の死を悼んでいます。資料的価値の高い著作の存在があるとはいえ 2人の知名度に開きがありすぎるのはちょっと残念。墓の隣には、家族とおぼしき複数の墓が並んでいました。もしかしたら、彼の家系は日本に根を下ろしたのかもしれません。

 それでも寿命を全うしたスクリパ博士はまだいい方かもしれません。金玉均は、旧態依然とした李氏朝鮮を改革すべく、日本で亡命生活を送りながら精力的に活動した人です。が、最後は上海で対立する閔妃一派の送り込んだ刺客に殺されてしまいました。体はバラバラに切り刻まれ、見せしめのため朝鮮各地でさらされました。おそらく青山墓地にあるのは墓石だけでしょう。

 非業に倒れた人はほかにもいます。トーマス・ラージは、今も麻布にある東洋英和学校の校長でした。明治憲法が施行された1890年、彼は運悪く学校に忍び込んだ強盗に刺され、命を失ってしまいました。同じ時に指を2本失った夫人ら家族は、その5年後に帰国してしまいました。犯人がようやく大正年間になって判明したことが、せめてもの救いといえます。ここには、大正時代に軽井沢で強盗に殺されたキャンベル夫妻の墓もあります。

 故郷で死ぬことはできなかったとはいえ、エドウィン・ダンは葬られている人の中ではもっとも幸せだったかもしれません。彼は北海道開拓使のお雇い外国人として明治初期に来日。畜産業の発展に寄与しました。その後はいったん帰国した後、米国公使やスタンダードオイル日本支配人として活躍。日本人女性と結婚し、82歳でなくなるまで日本に滞在し続けました。息子も音楽家として有名です。

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          (エドウィン・ダンの墓のそばには気持ちよさげに眠る猫が) 

 実は、外人墓地は最近まで存続が危ぶまれていました。子孫がいるのか分からず、管理料が徴収できないため、東京都が無縁仏として改葬しようとしていたのです。都心の超一等地にあることと、都の財政が悪化していることが影響したようです。

 幸い、歴史的史跡の消滅を憂えたNPOの「国際遺産を守る会」が都に陳情し、都も方針を転換。最近になって周辺を整備しました。ここに眠っているのはお雇い外国人と呼ばれた技術者や教師、牧師といった職業の人が多く、近代日本の建設に大きく貢献した人たちばかり。緑が減ったのはちょっと残念ですが、価値を再評価する機運が高まりつつあるのはうれしい限りです。

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          (西郷さんの肖像画で知られるキヨッソーネの墓もあります)

 お盆ということで、普段は静かな墓地には、けっこうな人がいました。でも外人墓地はいつもと変わらず静か。ひとけのない一角でしばし休憩し、来る途中に買った水を熱くなった墓石にかけてやり、彼らが再評価されるのを願いながらその場を後にしました。


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